乳がんって、女性の人生を変えるんじゃないの・・・?
MRIで2つ目のしこりが見つかって、それが悪性なら「全摘」・・・と言われたとき、そんな言葉が浮かんできてた。病気じゃなくても、20代、30代は女性の人生が動く時。そこに乳がんと言う病気が加わったら・・・
今日は普段、役者と旅行添乗員の2足のわらじをはく、本多由佳さんを紹介する。2年前の31歳で乳がんを発見。乳がんの発症40代以降が多いので、31歳はとても早い。
私がfacebookで乳がんであることを投稿したところ、知り合いが「話を聞いてみたら」と紹介してくれた人。メッセージのやりとりはずっとしていたけど、インタビューで初めて会った。いや、正確には「舞台に立っているところ」を見たことがある。由佳さんの本業は女優なのだ・・・舞台の上では、まるで自分の分身のような、乳がんになるヒロインを演じていた。2年のブランクがあるということだったけど、とてもそんなこと感じさせない存在感。
インタビューのために駅に現れた由佳さんは、メークが薄くて限りなく素顔に近い状態。メッセージのやりとりでも感じていたが、「率直」、「真剣さ」という印象が頭をめぐる。
女優と添乗員と言う2足のわらじ
--------この間、見させていただいた舞台が2年ぶりの乳がん後、初復帰作だったんですね!なぜ女優になりたいと思ったんですか?
「最初は宝塚を見たのがきっかけでした。踊りが歌が非日常。それを見たみんなも日常を忘れて。ああいうすごいことを私もしたい、と思いました」
----副業として添乗員を選んだのは?
「乳がんが発覚する直前まで、保険のコールセンターで働いていたんですが、センターの地方移転に伴い解雇となって。そのすぐあとに乳がんが見つかって手術したのですが、手術後に『自分の良さを活かしていける』仕事を考えて、旅行関連の資格を取りました。最近の添乗員はガイドも兼ねているので、人前に立つのが好き、という自分の特性が活きるし、女優を続けるための時間の融通もききやすいんです。」
一つ一つ、考えながら丁寧に答えてくださる。誠実な人柄が伝わってくる。
そして・・・
女優として生きる、と決めることは、とても勇気がいることなのではないかと思う。ある一定の年齢になると、人は不自由になりたがる。不思議だけど、不自由になることで安心する。自由でいることを決める人には、それだけで芯の強さを感じる。
31歳という若さで見つかった乳がん
------最初はどうして乳がんがあるとわかったのですか?
「私はお風呂で体を洗う時、タオルを使わず手で洗うんですけど、その時、右の脇近くに『コロッ』としたものが手にあたって・・・そのしこりが乳がんでした」
乳がんの半分くらいは、乳房の外側上部に発生する。由佳さんは右の脇だけど、私は左脇。まさしく、な場所なのだ。
------しこりを見つけた時はどんな気持ちでしたか?
「母も9年前に乳がんの治療をしたので、ドキっとしました。まさか自分が、と。母は結局グレーゾーンで、放射線の治療だけしたんですが。ネットで調べると、しこりが動く場合は良性(乳腺症)であることが多い、とありますよね。私のしこりは動いたんですよ。見つけたのが、お芝居本番の3日前。なので本番が終わってから考えよう、と。」
きっと・・・きっと祈るような気持ちだったんじゃないかと思う。「違いますように」って。私にも思い当たる気持ちだ。
手術や治療の経緯
-------病院選びはどうしましたか?
「インターネットでがん相談窓口を調べました。そこで出てきたのが日大板橋病院で。電話をしたところ『自分でしこりがわかる人はもう診療になります』と言われて、行きました。行くと、マンモグラフィを撮影。すると『何かが確実にできている。来週に針生検しましょう。』と言われて。MRIの予約も取りました。」
-----結果は乳がんだったんですね。
「しこりは2.3センチだったんですが、手術後の病理検査(切除したものから、がんの性質やタイプなど詳細を調べる検査)で、がんは乳管から出てないので、ステージは0とわかりました。ただ手術の時は、広がりが乳首までいっていれば全摘、と言われてて。結果はそこまでではなかったので、温存できました。パンケーキを切るように胸を切り出し、残りをつなげる術式でした。」
----由佳さんは若いし、温存手術を望んでいたんですか?
「それが、そうじゃないんです。先生は温存手術を提案してくれましたが、自分は全摘でもいい、という思いがありました。『自分はどうしたいのか?』と考えたら、『とにかく生きていたい!』と思ったんです。なので、全摘の方が再発率が低いのであれば、そちらを選んでいたと思います。でも、先生から『全摘でも温存でも、再発率は同じ。勝算が無ければ温存手術をすすめません』と言われて。父からも『全摘すれば大丈夫、という思い込みは危険だぞ。温存すれば経過観察も大事にするんじゃないか』と言われたのが決め手になり、切ってみて可能であれば温存することになりました。」
同じ乳がんの患者でも、「どうしたいのか」は本当に様々だ。私がどうしても残したかった乳房。でも確かに命より重いものは無い。私は元々、腫瘍が小さかったことあって、命の危険をそこまで感じ取っていなかったのかもしれない。それでも『死』についていろいろ思いめぐらせたけど。
--------手術後の治療は?
「ホルモン受容体プラスで比較的顔つきが良い癌だったので、抗がん剤は無く、手術の後は放射線を30回(通常は25回だが、5回増えました。)、ホルモン抑制の薬を注射2年、飲み薬5年の予定です。ついこの間、2年間の注射が終わったばかりですね」
治療の副作用はありましたか?と聞くと、明るく「何にも!」と答えてくれた由佳さん。それはこれから放射線やホルモン治療を始めようという私に、明るい気持ちをプレゼントしてくれるということだ。経験者の声は本当に力強い。
-------- -一番つらかったのはどの時期ですか?
「告知されてから、転移が無いのか検査をしました。その結果を待っている時が一番つらかったですね。失業していたこともあって家にこもっていました。『残りの人生を考えなきゃいけないの?』という気持ちがグルグルしていました。」
あまり知られていないが、乳がんは脇のリンパに近いので、癌細胞がリンパ液にのって、肺、肝臓、骨に転移することがある。そして、それが発見されたら・・・今の医学では「根治できません」ということ。今は抗がん剤も発達しているので、転移の告知から10年ほど生きていらっしゃる人もいる。でも・・・「自分は治らない」という思いを抱きながらの10年。察するに余りある。
-------その間どんなことをしていたんですか?
「50代の乳がん経験者の人と話をしました。話をすること自体がデトックスだし、情報をもらって、『どんな情報が自分にとって一番納得できるか、結局は自分がどうしたいのか』が大切だと思いました。こういう時ほど、直感が大切だと」
-------では担当医も「この人なら大丈夫!」という直感があったんですか?
「いえ、それが・・・若い先生で、悪くは無いけど、安心感は無かったです。質問には丁寧に答えてくれるけど、質問しなければ何もない。診察の時、こちらはとっさに質問が浮かんでこず、帰ってから素朴な疑問が浮かんできます。たとえば先生は『無理しないで』と言ってくれるけど、一体何が「無理」にあたるのか。私、コールセンターで電話応対をしていたこともあって、「ニーズを掘り起こす姿勢」が欲しいな、と思っていました。」
-----それでもその先生に決めた理由は?
「離れて暮らしている父に来てもらって、一緒に病院についていってもらいました。自分が通常の精神状態では無いと思ったんです。その父が『信頼できる先生じゃないか』と言ったので決めました。」
医師の選択は、納得して治療を受けるのにとても重要だ。由佳さんの、お父様への信頼が伝わってくる。
傷はがんばって生きてきた証
-------手術の傷はイヤじゃないですか?
「いいえ・・・傷は、必死に自分ががんばって生きてきた証だなぁ、という思いがあって・・・むしろ隠さない方が私に合っていると思うんです。仕事で温泉に行ったときは入ってるんですよ。私の傷を見て、勇気を感じてくれる人もいると思っています。」
由佳さんの、体の芯から言葉が出ているように見えた。「自分が選んでここまで来たっていう確信があるんですね」って言うと、由佳さんは大きくうなずいた。そんなこと思える人生・・・すごく誇りが持てるんじゃないか。
その時、由佳さんの顔がフッと暗くなった。
「でも・・・調子が悪い時は、これじゃあ結婚はなー・・・と思う時があります。」
-------どういうことですか?
「35歳以下でホルモン治療をしている場合、生理が止まる可能性が1%ですけどあります。子どものことを考えると・・・調子が悪い時は、そんな考えが頭をかすめます。」
若くして乳がんにかかったら・・・これから人生のパートナーを探し、子どもを産むという段階だったら、治療は、ただ生き延びるのと、また違った意味を持ってくると思う。再発や転移を警戒する期間が10年と長いこと、治療のため生理を止める可能性があること、手術で乳房が無くなったり変形していたら・・・いろいろなことに憶病になる気持ち、出てくると思う。
ただすぐに、由佳さんは笑顔になった。
「でもそれは調子の悪い時で、元気な時は『これではずれを引く確率が減った』と思えるんです。」
確かに変な男、冗談半分で付き合おうなんて言う男、寄って来なくなりそうだ。
それでも・・・一瞬、垣間見えた儚さ。「美人にこんな表情見せられたら・・・私が男なら抱き締めずにいられないですね。」って私が言って、二人で笑う。
生死を感じることは財産になった
-------病気から何を得たと思いますか?
「・・・役者の仕事は人間の真実を探すことだと思っています。こういう病気で生死を感じることは、財産だと感じるようになりました。人間に対する見方や感じ方に、すごく発見がありました。」
--------例えばどんな発見があったんですか?
「今まで、自分が『がんばって、がんばって、がんばらないといけない』というタイプだったんです。目に見える役立ちが無いと、存在価値が無いと思ってました。でも、病気なって、何にもできない自分になり、両親や妹、友人に助けてもらって。病気になるまでは、がんばっていない人を許せなかった。でも、『この人、がんばり方が見えないだけで実はがんばっているのかも』と思うようになりました。これもありなのかも、って今まで受け入れられなかったものが受け入れられるようになりました。」
由佳さんは、ゆっくり自分の中を覗き込んでから答えてくれた。
病気なったからこその気づき。由佳さんのスペースが広がったのが伝わってくる。すごく人としての器が大きくなったんじゃないだろうか。
これからは思う存分生きる
--------これからはどんな風に生きたいですか?
「とにかく健康で、悔いが無く、我慢をしないで生きていきたいと思います。存分に行きたい、そんな気持ちがあります。」
---------存分に生きる、とはどんなことですか?
「・・・苦しむ時は思いっきり苦しみ、悲しむ時は思いっきり悲しむ。全力で一生懸命生きる。思う存分にやったもん!って思うことですね。」
考え考え、話してくれた由佳さんだけど・・・・私には・・・今、もう十分そうなっているように見える。そう伝えると、大きな声で笑ってくれる由佳さん。確かに彼女の人生は、乳がんで変わったかもしれない。でも・・・病気が、どう生きたいのかはっきりさせ、本当にやりたいことをはっきりさせてくれたとしたら。
それは、決して悪いことじゃないはずだ。
☆☆今後の由佳さんの活動☆☆
【加藤忍サマーライブコンサート】
韓流ドラマ「トンイ」の主人公トンイ(ハン・ヒョジュ)
6/26(木)19:00開演
6/27(金)13:00開演
6/28(土)19:00開演
※オープンは開演の1時間前です♪
<料金>
ワンドリンクつき 5000円
ワンドリンク+創作料理バイキング付き 6000円
<会場>
笹塚・中国茶芸館「Blue-T」
京王線笹塚駅北口より徒歩10分
〒151-0073
渋谷区笹塚1-61-8ホテルブーゲンビリア1階
03-3375-1474
<お問い合わせ>
こちらにコメントかメッセージ、または専用電話に連絡。
専用電話→090-3439-4054
詳細はfacebookで確認してください。
https://www.facebook.com/events/1555396014686664/?ref=2&ref_dashboard_filter=upcoming
【You‘ve got mail VOL13 坊っちゃんからの手紙】
<スケジュール>
8/22(金) 19:00 開演
8/23(土) 13:00 開演、18:00 開演
滝川会館大ホールにて
※このインタビューはゴールデンウィークの真っ最中に行ったもので、実は後日談がある。由佳さんが、乳がんの手術後付近に、新しいしこりができているのを見つけたのだという。
これを書いているのは6月12日で、由佳さんは近々病院に検査に行く。検査の結果が良いものであることを、心をこめて祈らずにはいられない。
乳がんが『寛解』と言われる状態になるまで10年。本当に長い期間だ。私も含めて、人は手術が終わったら、それで治った気持ちになってしまうのだけど、決してそうではない。今はまだ旅の途中なのだ。それを痛切に思い知らされる。
メールでは、「早く見つかった方がいいと思うので」と彼女は言う。
検査の結果が、何の心配もいらないことを期待する私だけど・・・たとえどんな結果であれ、由佳さんなら乗り越えるだろう・・・と、またその出来事から学ぶであろうと・・・その確信が、私にはある。