パーソナルコーチ「はる」の、乳ガンとともに生きる日々

コーチが「がん」になったらどう変わっていくんだろう?

ニックネーム はる
名前 北條良子(ほうじょうりょうこ)
職業 パーソナルコーチ、研修講師。
資格 米国CTI認定 Certified Professional Co-Active Coach (CPCC)
HP  http://ryo-ko.net


2014年1月に乳がん告知を受け、4月に温存手術を受けました。現在はホルモン治療中です。癌告知をされた時は、やっぱり頭に死がよぎりました。元気になったいま、残された命を、同じように病気で悩んでいる人のために使うことを決めました。

あなたは乳がんを経験して、これからどう生きたいですか?
コーチングという対話を使って、自分の中の答えを見つけませんか?

神奈川県在住。小学生男児、1児の母。




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カテゴリ: Cancer survivor interview

乳がんって、女性の人生を変えるんじゃないの・・・?

 

MRIで2つ目のしこりが見つかって、それが悪性なら「全摘」・・・と言われたとき、そんな言葉が浮かんできてた。病気じゃなくても、20代、30代は女性の人生が動く時。そこに乳がんと言う病気が加わったら・・・

 

 

今日は普段、役者と旅行添乗員の2足のわらじをはく、本多由佳さんを紹介する。2年前の31歳で乳がんを発見。乳がんの発症40代以降が多いので、31歳はとても早い。

 

私がfacebookで乳がんであることを投稿したところ、知り合いが「話を聞いてみたら」と紹介してくれた人。メッセージのやりとりはずっとしていたけど、インタビューで初めて会った。いや、正確には「舞台に立っているところ」を見たことがある。由佳さんの本業は女優なのだ・・・舞台の上では、まるで自分の分身のような、乳がんになるヒロインを演じていた。2年のブランクがあるということだったけど、とてもそんなこと感じさせない存在感。

 

インタビューのために駅に現れた由佳さんは、メークが薄くて限りなく素顔に近い状態。メッセージのやりとりでも感じていたが、「率直」、「真剣さ」という印象が頭をめぐる。

 

 

女優と添乗員と言う2足のわらじ

--------この間、見させていただいた舞台が2年ぶりの乳がん後、初復帰作だったんですね!なぜ女優になりたいと思ったんですか?

「最初は宝塚を見たのがきっかけでした。踊りが歌が非日常。それを見たみんなも日常を忘れて。ああいうすごいことを私もしたい、と思いました」

 

----副業として添乗員を選んだのは?

「乳がんが発覚する直前まで、保険のコールセンターで働いていたんですが、センターの地方移転に伴い解雇となって。そのすぐあとに乳がんが見つかって手術したのですが、手術後に『自分の良さを活かしていける』仕事を考えて、旅行関連の資格を取りました。最近の添乗員はガイドも兼ねているので、人前に立つのが好き、という自分の特性が活きるし、女優を続けるための時間の融通もききやすいんです。」

 

 

一つ一つ、考えながら丁寧に答えてくださる。誠実な人柄が伝わってくる。

そして・・・

女優として生きる、と決めることは、とても勇気がいることなのではないかと思う。ある一定の年齢になると、人は不自由になりたがる。不思議だけど、不自由になることで安心する。自由でいることを決める人には、それだけで芯の強さを感じる。

 

 

31歳という若さで見つかった乳がん

------最初はどうして乳がんがあるとわかったのですか?

「私はお風呂で体を洗う時、タオルを使わず手で洗うんですけど、その時、右の脇近くに『コロッ』としたものが手にあたって・・・そのしこりが乳がんでした」

 

乳がんの半分くらいは、乳房の外側上部に発生する。由佳さんは右の脇だけど、私は左脇。まさしく、な場所なのだ。

 

------しこりを見つけた時はどんな気持ちでしたか?

「母も9年前に乳がんの治療をしたので、ドキっとしました。まさか自分が、と。母は結局グレーゾーンで、放射線の治療だけしたんですが。ネットで調べると、しこりが動く場合は良性(乳腺症)であることが多い、とありますよね。私のしこりは動いたんですよ。見つけたのが、お芝居本番の3日前。なので本番が終わってから考えよう、と。」

 

きっと・・・きっと祈るような気持ちだったんじゃないかと思う。「違いますように」って。私にも思い当たる気持ちだ。

 

 

手術や治療の経緯

-------病院選びはどうしましたか?

「インターネットでがん相談窓口を調べました。そこで出てきたのが日大板橋病院で。電話をしたところ『自分でしこりがわかる人はもう診療になります』と言われて、行きました。行くと、マンモグラフィを撮影。すると『何かが確実にできている。来週に針生検しましょう。』と言われて。MRIの予約も取りました。」

 

-----結果は乳がんだったんですね。

「しこりは2.3センチだったんですが、手術後の病理検査(切除したものから、がんの性質やタイプなど詳細を調べる検査)で、がんは乳管から出てないので、ステージは0とわかりました。ただ手術の時は、広がりが乳首までいっていれば全摘、と言われてて。結果はそこまでではなかったので、温存できました。パンケーキを切るように胸を切り出し、残りをつなげる術式でした。」

 

 

----由佳さんは若いし、温存手術を望んでいたんですか?

「それが、そうじゃないんです。先生は温存手術を提案してくれましたが、自分は全摘でもいい、という思いがありました。『自分はどうしたいのか?』と考えたら、『とにかく生きていたい!』と思ったんです。なので、全摘の方が再発率が低いのであれば、そちらを選んでいたと思います。でも、先生から『全摘でも温存でも、再発率は同じ。勝算が無ければ温存手術をすすめません』と言われて。父からも『全摘すれば大丈夫、という思い込みは危険だぞ。温存すれば経過観察も大事にするんじゃないか』と言われたのが決め手になり、切ってみて可能であれば温存することになりました。」

 

 

同じ乳がんの患者でも、「どうしたいのか」は本当に様々だ。私がどうしても残したかった乳房。でも確かに命より重いものは無い。私は元々、腫瘍が小さかったことあって、命の危険をそこまで感じ取っていなかったのかもしれない。それでも『死』についていろいろ思いめぐらせたけど。

 

 

--------手術後の治療は?

「ホルモン受容体プラスで比較的顔つきが良い癌だったので、抗がん剤は無く、手術の後は放射線を30回(通常は25回だが、5回増えました。)、ホルモン抑制の薬を注射2年、飲み薬5年の予定です。ついこの間、2年間の注射が終わったばかりですね」

 

治療の副作用はありましたか?と聞くと、明るく「何にも!」と答えてくれた由佳さん。それはこれから放射線やホルモン治療を始めようという私に、明るい気持ちをプレゼントしてくれるということだ。経験者の声は本当に力強い。

 

 

-------- -一番つらかったのはどの時期ですか?

「告知されてから、転移が無いのか検査をしました。その結果を待っている時が一番つらかったですね。失業していたこともあって家にこもっていました。『残りの人生を考えなきゃいけないの?』という気持ちがグルグルしていました。」

 

 

あまり知られていないが、乳がんは脇のリンパに近いので、癌細胞がリンパ液にのって、肺、肝臓、骨に転移することがある。そして、それが発見されたら・・・今の医学では「根治できません」ということ。今は抗がん剤も発達しているので、転移の告知から10年ほど生きていらっしゃる人もいる。でも・・・「自分は治らない」という思いを抱きながらの10年。察するに余りある。

 

 

-------その間どんなことをしていたんですか?

50代の乳がん経験者の人と話をしました。話をすること自体がデトックスだし、情報をもらって、『どんな情報が自分にとって一番納得できるか、結局は自分がどうしたいのか』が大切だと思いました。こういう時ほど、直感が大切だと」

 

-------では担当医も「この人なら大丈夫!」という直感があったんですか?

「いえ、それが・・・若い先生で、悪くは無いけど、安心感は無かったです。質問には丁寧に答えてくれるけど、質問しなければ何もない。診察の時、こちらはとっさに質問が浮かんでこず、帰ってから素朴な疑問が浮かんできます。たとえば先生は『無理しないで』と言ってくれるけど、一体何が「無理」にあたるのか。私、コールセンターで電話応対をしていたこともあって、「ニーズを掘り起こす姿勢」が欲しいな、と思っていました。」

 

-----それでもその先生に決めた理由は?

「離れて暮らしている父に来てもらって、一緒に病院についていってもらいました。自分が通常の精神状態では無いと思ったんです。その父が『信頼できる先生じゃないか』と言ったので決めました。」

 

医師の選択は、納得して治療を受けるのにとても重要だ。由佳さんの、お父様への信頼が伝わってくる。

 

 

傷はがんばって生きてきた証

-------手術の傷はイヤじゃないですか?

「いいえ・・・傷は、必死に自分ががんばって生きてきた証だなぁ、という思いがあって・・・むしろ隠さない方が私に合っていると思うんです。仕事で温泉に行ったときは入ってるんですよ。私の傷を見て、勇気を感じてくれる人もいると思っています。」

 

由佳さんの、体の芯から言葉が出ているように見えた。「自分が選んでここまで来たっていう確信があるんですね」って言うと、由佳さんは大きくうなずいた。そんなこと思える人生・・・すごく誇りが持てるんじゃないか。

 

 

その時、由佳さんの顔がフッと暗くなった。

「でも・・・調子が悪い時は、これじゃあ結婚はなー・・・と思う時があります。」

 

-------どういうことですか?

35歳以下でホルモン治療をしている場合、生理が止まる可能性が1%ですけどあります。子どものことを考えると・・・調子が悪い時は、そんな考えが頭をかすめます。」

 

 

若くして乳がんにかかったら・・・これから人生のパートナーを探し、子どもを産むという段階だったら、治療は、ただ生き延びるのと、また違った意味を持ってくると思う。再発や転移を警戒する期間が10年と長いこと、治療のため生理を止める可能性があること、手術で乳房が無くなったり変形していたら・・・いろいろなことに憶病になる気持ち、出てくると思う。

 

ただすぐに、由佳さんは笑顔になった。

「でもそれは調子の悪い時で、元気な時は『これではずれを引く確率が減った』と思えるんです。」

 

確かに変な男、冗談半分で付き合おうなんて言う男、寄って来なくなりそうだ。

それでも・・・一瞬、垣間見えた儚さ。「美人にこんな表情見せられたら・・・私が男なら抱き締めずにいられないですね。」って私が言って、二人で笑う。

 

 

生死を感じることは財産になった

-------病気から何を得たと思いますか?

「・・・役者の仕事は人間の真実を探すことだと思っています。こういう病気で生死を感じることは、財産だと感じるようになりました。人間に対する見方や感じ方に、すごく発見がありました。」

 

--------例えばどんな発見があったんですか?

「今まで、自分が『がんばって、がんばって、がんばらないといけない』というタイプだったんです。目に見える役立ちが無いと、存在価値が無いと思ってました。でも、病気なって、何にもできない自分になり、両親や妹、友人に助けてもらって。病気になるまでは、がんばっていない人を許せなかった。でも、『この人、がんばり方が見えないだけで実はがんばっているのかも』と思うようになりました。これもありなのかも、って今まで受け入れられなかったものが受け入れられるようになりました。」

 

 

由佳さんは、ゆっくり自分の中を覗き込んでから答えてくれた。

病気なったからこその気づき。由佳さんのスペースが広がったのが伝わってくる。すごく人としての器が大きくなったんじゃないだろうか。

 

 

これからは思う存分生きる

--------これからはどんな風に生きたいですか?

「とにかく健康で、悔いが無く、我慢をしないで生きていきたいと思います。存分に行きたい、そんな気持ちがあります。」

 

---------存分に生きる、とはどんなことですか?

「・・・苦しむ時は思いっきり苦しみ、悲しむ時は思いっきり悲しむ。全力で一生懸命生きる。思う存分にやったもん!って思うことですね。」

 

考え考え、話してくれた由佳さんだけど・・・・私には・・・今、もう十分そうなっているように見える。そう伝えると、大きな声で笑ってくれる由佳さん。確かに彼女の人生は、乳がんで変わったかもしれない。でも・・・病気が、どう生きたいのかはっきりさせ、本当にやりたいことをはっきりさせてくれたとしたら。

 

それは、決して悪いことじゃないはずだ。

 

 

☆☆今後の由佳さんの活動☆☆


【加藤忍サマーライブコンサート】


韓流ドラマ「トンイ」の主人公トンイ(ハン・ヒョジュ)の吹き替えを担当している、女優の加藤忍が自らプロデュースする、歌のライブ。こちらに由佳さんも出演されるとのこと。


<スケジュール>
6/26(木)19:00開演
6/27(金)13:00開演
6/28(土)19:00開演
※オープンは開演の1時間前です♪


<料金>
ワンドリンクつき 5000円
ワンドリンク+創作料理バイキング付き 6000円

<会場>
笹塚・中国茶芸館「Blue-T」

京王線笹塚駅北口より徒歩10分
〒151-0073
渋谷区笹塚1-61-8ホテルブーゲンビリア1階
03-3375-1474

<お問い合わせ>
こちらにコメントかメッセージ、または専用電話に連絡
専用電話→090-3439-4054


 詳細はfacebookで確認してください。

https://www.facebook.com/events/1555396014686664/?ref=2&ref_dashboard_filter=upcoming




【You‘ve got mail VOL13 坊っちゃんからの手紙】


<スケジュール>

8/22(金) 19:00 開演

8/23(土) 13:00 開演、18:00 開演


滝川会館大ホールにて



http://masami55.exblog.jp/22095739/

 

 

 

※このインタビューはゴールデンウィークの真っ最中に行ったもので、実は後日談がある。由佳さんが、乳がんの手術後付近に、新しいしこりができているのを見つけたのだという。

 

これを書いているのは6月12日で、由佳さんは近々病院に検査に行く。検査の結果が良いものであることを、心をこめて祈らずにはいられない。

 

乳がんが『寛解』と言われる状態になるまで10年。本当に長い期間だ。私も含めて、人は手術が終わったら、それで治った気持ちになってしまうのだけど、決してそうではない。今はまだ旅の途中なのだ。それを痛切に思い知らされる。

 

メールでは、「早く見つかった方がいいと思うので」と彼女は言う。

 

検査の結果が、何の心配もいらないことを期待する私だけど・・・たとえどんな結果であれ、由佳さんなら乗り越えるだろう・・・と、またその出来事から学ぶであろうと・・・その確信が、私にはある。

 

 

2014-05-06-14-19-14

「乳ガン」という恐ろしい病気にかかって、周りの人からたくさんの人に愛、勇気、励ましをもらった。
中でも同じガンの先輩から話を聴く、という経験は、本当にありがたかった。


治療の経緯を聴かせてもらうのも、自分の心境に心から共感してもらうのもありがたい。そして何より今、目の前で輝いている人を見ると、「病気になったのは、何かが変わるきっかけなのかも」「自分もこうなりたい」「なれるんじゃないか?」って思えてくる。希望がもらえる。


私は主に、facebookを通じて乳がん先輩を紹介しえもらったけど、世の中にはひょっとして1人で悩んでいる人もいるかもしれない。特に20代、30代の発症者は少ないのだ。


だからブログを通じて、私が聞いた話をシェアし、もらった愛、勇気、励ましが読んだ人にも伝わるために、、「Canser surviver interview」という企画を考えてみた。私、この3つを世の中に循環させていきたいみたいだ。今日はその1回目。スタイリストの河面乃浬子さんを紹介する。


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2014-03-31-14-58-29

















体は小さくとも、パワーがあふれ出してる人っている。明るいオーラとしなやかな意志。乃浬子さんはそんな女性だ。

----------乃浬子さんが乳がんであることがわかったのはいつなんですか?
「もう15年くらい前になるかしら。その頃私はNYのジュエリーショップで働いていて・・・2年連続で乳がん検診で「グレー」、つまり要経過観察と言われたのよ。検診に行くと、私だけブレストサロンに居残り。そして生検に送られる。それでも結果が出ないのが、とにかく不安でね。同じ時期に子宮筋腫の摘出手術をしたのもあって、ちょっと疲れちゃったのかな。ウフフ。ちょうどNYで『やりたいことはやり尽くした』って感じもあっから、帰国を決意したの。そして帰国後数年経って、やはり乳がんが進行していたことがわかったの」


乃浬子さんは、広告会社を経て、フリーランスのスタイリストとして、いろいろなCMのスタイリングを手がけていた。聞くと、ポール・ニューマンやハリソン・フォードといったハリウッドスターとも仕事をしたことがあるのだという。

好奇心が動く。

----------日本での仕事も充実していたのに、どうしてNYに行こうと思ったんですか?
「そうね、ライトパブリシティというすばらしい広告会社から、フリーのスタイリストになって結構活躍していたから、それまでの貯蓄をぜ〜んぶ持って行っちゃった(笑)33歳の時だったわ。直接のきっかけはポール・ニューマンが出演するCMの仕事をした時、アメリカのスタッフの仕事ぶりに出会って、『このダイナミックな人たちと働きたい!』と思ったの。直感?かな!」


乃浬子さんの笑い方はカラカラと気持ちがいい。その笑い方を見て、「この人はやりたいことをやってきた人なんだな」と感じる。当時は湾岸戦争でNYは不景気、仕事もままならなかったけど、そんな中でもニューヨーカー達の遊び心は、常に刺激的だったそうだ。


----------どうして乳ガンになったんだと思いますか?
「NYに行って最初の2年はパーソンズでインテリアデザインを勉強したのね。寝る間もないほど課題が大変で。あの頃のストレスや食生活…つまり当時の私のライフスタイル(生活習慣)が、ガンを作ったんだと思う」

タフな学校生活を思い出したのか、乃浬子さんの顔がフッと曇る。「もう1回しろって言われても、もう絶対ヤダなぁ」って子どもみたいでカワイイ。
学校を卒業してからは、インテリアショップやジュエリーショップで働いていたということ。


----------日本での治療はどんな経過だったんですか?
「私の場合、母が先に乳がんであることがわかって。叔父が以前、東京医大の学長だったので、診察についていったのよ。そこで『先生、私も実はNYで』で言ってむりやり診てもらったの。最初は『あなたみたいな若い人が』って言われたけど、触診をして、ハッと先生の顔色が変わったの。」

患者って敏感だ。触診をした時、マンモやエコーの映像を見た時の医者の様子が、言ってみれば軽い告知だった人も多い。私の場合は、マンモを見た医者と看護婦が、バックオフィスに「生検出るかも」って言ってるのをカーテンの陰で聞いた時だけど。

「はるちゃんのブログを見て、思い出したんだけど・・・病院の連絡ミスでね、全摘の手術を、もう私に告知をしているとサブの先生が勘違いして。『全摘手術の日程は…』っていきなり言われて。『聞いてない!』って愕然として…ホントに悲しかったわ」

乃浬子さんの乳がんは、乳房に広がるタイプで、リンパ節にも転移があった。ステージは2b。ホルモンレセプターはプラス反応。


---------どうしたんですか?
「『徹底的に検査し直して納得がいくように説明してください』ってお願いしたの。そしたら先生方が改めてMRIを撮り直したりして『ここまで調べて、全摘が必要な状態なんです』ってところまで落とし込んでくれて。そっか…って納得したのよ。 母も乳がんっていう診断だった。母のケースは他の病院だと『術後1カ月入院』と言われていて、主婦だし困るじゃない、1カ月も。途方にくれていたところをこの東京医大の先生は、『1カ月?あなたの場合は日帰り手術で大丈夫ですよ』って言われてね。そしてその通りになったのよ。母は今も元気で暮らしている。ホントに医療って先生や病院との相性ってあるよね。自分で選択する大事さをその時学んだわ。」



----------そして、片胸を全摘された・・・再建しないのはなぜですか?
「何度か先生にオファーを頂いたけど、どうしても体に異物を入れるのがイヤなのよ」

乃浬子さんはあっさりとそう言った。リンパ節転移があると、現代の標準治療は抗ガン剤治療を勧められる。それも「髪が抜けるほど強烈に、健康な細胞を殺すのがイヤ」と断ったそうだ。手術後はホルモン治療のみ。


乃浬子さんの話を聞いていると、「自分で選択する」ということを意識させられる。


「手術をして治してもらう、っていうんじゃなくて『自分で治す』っていう意識が大切だと思ってるの。自分で手術はできないから、お医者様を信頼して後は委ねる。自分の選択だからね。何が起こっても何とかなる、きっと健康に戻れる!と思ってると、なぜかステキなご縁があって惹きあっていくみたいなの。」


乃浬子さんは、心身を病んだことからセルフイメージが何より大切なことに気づいて、現在、外見と内面を統合する『セルフイメージスタイリスト』をしている。

セルフイメージって、自分に対するイメージってこと。既に持っているのに気付いていない、相手の魅力をライフタイルを通じて参加していきたい、そのためにBESMOWと言って、Breeze、Eat、 Sleep、 Move 、Wearの生きる基本を応援するライフスタイリストを目指しているとのこと。

だからウォーキングインストラクターも!
これはリンパ除去の影響で左手が上がらないため、リハビリを兼ねてビューティーウォークを始めたことから、つながっていったことなのだと。いろいろしてるけど、すべて流れにまかせていった結果なのだという。転んでもタダで起きないヒトだ。




----------最後に、病気になったことをどう思っていますか?
「病気も今の私の大切な経験だから、なって良かったと思ってるの。全ての経験があって今の自分になる・・・その中の病気という1ピースが無かったらパズルは完成しないわ。病気が私をこんなに成長させてくれたのだと思えたら、何事にも感謝できちゃうよね。」



乃浬子さんほど、乳がんを・・・ううん、人生の困難をポジティブ、いや、彼女流にいえば『楽観的』に捉えている人は珍しいのかもしれない。
でも・・・人生を振り返り、立ち止り、起こった出来事に意味を求められたら、どれほどたくさんの財産が潜んでいるだろう。それこそ・・・唯一無二の。それは誰にも奪われない宝物だ。


「ジャンプする時はいったん屈むじゃない?これからの人生が輝くためには1度とことん屈みこんでもいいんじゃないなっ」

そういう乃浬子さんの言葉を、とてもまぶしく聞いている私がいた。




☆乃浬子さんの今の活動はこちらで☆
URL
http://www.bonne-maturite.com/
http://ameblo.jp/bonne-maturite/
https://www.facebook.com/noriko.kawamo
https://www.facebook.com/bonnematurite?ref=br_rs



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癌を乗り越えて生きているサバイバーの方に、癌になって何が変わったのか、何か明確になったのか、その人生を聞くインタビューをしていきたいと思います。自分を語ることで、周りに勇気を与える存在になりませんか?まずは自分の知り合いから、と考えていますが、いずれは投稿を見た方に応募して頂こうと考えています。

読んだ方に存在をリアルに感じてもらいたので、基本的には本名と写真を載せさせてくださる方にしたいのですが、どちらか一方でもかまいません。皆様、考えておいてください。




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