パーソナルコーチ「はる」の、乳ガンとともに生きる日々

コーチが「がん」になったらどう変わっていくんだろう?

ニックネーム はる
名前 北條良子(ほうじょうりょうこ)
職業 パーソナルコーチ、研修講師。
資格 米国CTI認定 Certified Professional Co-Active Coach (CPCC)
HP  http://ryo-ko.net


2014年1月に乳がん告知を受け、4月に温存手術を受けました。現在はホルモン治療中です。癌告知をされた時は、やっぱり頭に死がよぎりました。元気になったいま、残された命を、同じように病気で悩んでいる人のために使うことを決めました。

あなたは乳がんを経験して、これからどう生きたいですか?
コーチングという対話を使って、自分の中の答えを見つけませんか?

神奈川県在住。小学生男児、1児の母。




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カテゴリ: 手術までの道のり

セカオピ翌日。無事に仕事に行った。仕事があって良かったなって、思う。以前は仕事に行って当たり前だったけど、今はかなりありがたい気持ちで行かせてもらっている。行くといろんな人と話せて、ものすごく気が紛れる。たまに涙がウルっと出るけど。当たり前のことができる幸せ。



昨日のガン研有明の会計は、20人待ちの列。放心状態でいると、隣の60歳くらいの、上品な婦人に話しかけられる。

「ずいぶん待たされますのね。。。」
ええ、本当に。
「この病院のたくさんの人たち、みんな癌だと思ったら、すごいですわよね。今は、3人に1人の時代だから、って、私もお医者さんに悲観しないように言われましたのよ」
この婦人も癌患者らしい。失礼ですが、どこがお悪いのですか?と聞いてしまう。

「直腸癌なんですの。一ヶ月前に手術して、今は人工肛門なんですのよ。」

ご婦人の言葉の裏に、渦巻く感情を感じる。「悔しい」とか、「情けない」とか。でも面と向かって言えなくて、ご不便でしょうね、とだけ告げてみる。

「私ね、点滴だけでご飯を食べないでいようと思いましたの。そしたらね、便出ないでしょ。でもそんなのできないって、言われて。いっぱい泣きましたの。」


手術が終わりじゃない。その後も続く生活。想像していた未来が、指の間からこぼれ落ちて行く感覚。人工で作った肛門から、おへその横から便をするなんて考えてもみなかったんだよね。私も片方のおっぱいがいなくなるかもって、考えたこと無かったな。


この時点で、2人の目から涙がポロポロ、いやボロンボロン。

「でもこればっかりは、向き合うしかない、そう思って……」
そう、辛い出来事も、人は向き合って、いつか受け入れることができる。想像していた未来を苦労して手放しながら、受け入れていくんだろう。手放す、という言葉と受け入れる、という言葉は表裏なんだなあ、という気づき。

この後、私の病気を表明して、「乳がんは大丈夫よ!103歳まで生きた人を知ってるわ!」とエールを送られ。お互い元気でいましょうね、とお別れした。


明日、ファーストオピニオンの病院に行く。
今は結構、ぐちゃぐちゃな気持ち。でもどんな結果でも、いつかは受け入れられるんだろうと思う。

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「気になるのは、ここにも何かあることですよね?これは何も言われてないの?」
先生の言葉と一緒に、じんわり広がる不安。私、病気のこと舐めてたかな……?




今日は国際展示場にある「がん研有明」でセカンドオピニオン。ここでファーストオピニオンについて、意見をもらって、いろいろある疑問も答えてもらうつもり。

巨大で美しい病院。溢れる人。受付の待ち時間は20分ほどあったけど、それを済ますと、すぐに診察室へ。

初老で白髪が多い、真面目そうなI先生に説明してもらう。いろいろ聞いたけど、以下抜粋。

・ ファーストオピニオンの大学病院で手術を受けるのか迷っているが、どこで受けても同じだろうか?
→ 術式が違えば、もちろん違うだろうが、現在は腫瘍が小さいので、ほぼ同じになると推測する。

・ ホルモン療法は受ける必要があるか?
→ ホルモン療法が非常に有効な癌。今、リンパ節転移が無いと仮定して、治る確率が90%。ホルモン療法を受ければ95%に上がる。副作用も少ないので、受けたくない理由が明確でなければ、受けたほうがいい。

・ 脇のしたに近いが、リンパ節転移の可能性は?
→ 脇に近いことが転移に関係あるかは、医師によって見解が異なる。手術時に転移がわかる可能性は20%。


絵を書きながら、すごく丁寧に教えてもらえる。わかりやすい。そして、「それより気になるのがね…」と言われたが、冒頭の言葉。MRIの画像をグリグリ廻してマウスで指し示された先、乳首に近い外側に、白い影が映ってる。

「あー……ありますね。」
私、すごく残念な声をしてたと思う。
「ここにね、5mmくらいなんだけど、しこりがあって、良性かもしれないけど、今ある癌の延長線上にあるようにも見えるでしょ?調べたほうがいいね。」

「もし、つながってたらどうなりますか?」
「切るところが大きくなるから、いっそ全摘で、ってなるかもしれない」
言っても仕方ないけど、思わず口から出た言葉。
「先生、全摘はキツイです…」


この病気になるまで、命が助かるなら悪い部分を切除するのは仕方のないことだと思ってた。乳房や子宮、無くても生きていけるでしょ。命が無くなるよりいいでしょ、って。この病気になって感じたのは、胸や性器は自分のアイデンティティと知らず知らず強烈に結びついていて、切り離して考えるのはとても難しい、ってこと。切るって、自分の中の一部を切り離すように感じる。


I先生は、ひょっとしたら良性かもだし、つながってない別のガンなのかも。って優しく慰めながら、元の先生にお手紙書いておくからねって。

がん研に転院できる可能性を聞いたけど、「手術は二ヶ月待ち。治療は乳腺科の医師ならば変わらない。10年通うことを考えたら近い方がいいし、また今日から手術まで二ヶ月待つのって、精神的に良くないでしょ?」って諭しモード。確かに遠いし、待つのも嫌……


安心するために来たセカンドオピニオンだけど、予想外の結果に帰りの気分も沈みがち。でも正直、沈んで当然だし、落ち込んでいいと感じてる。これで落ち込まない人、いないとおもう。今は、今の感情を思いっきり味わってみようと思う。

強そうでいて、いざという時、男は弱い。
私が、父に持ってる印象もそんな感じ。


関西の私鉄職員だった父は、痴漢を捕まえたり、酔っ払いと闘った話をよくしてくれた。それはとても勇ましい物語だったけど、いつぞや自分の体調が悪くて下痢と下血が続いた時は、「俺は大腸ガンかもしらん」って、なかば死を覚悟した顔で半べそをかいていた。それは結局、ストレス性の過敏性大腸炎と痔だったんだけど。

今回の私の乳がん、伝えるのを躊躇したのはそんな背景もあったから。

母から聞いて、父がどう受け止めるのか心配してたけど、今日は直接電話がかかってきた。

「もしもし?はるか?……はるは、元気なんか?…痛いとか、つらいとかないんか?」
なんでもない風を装ってるけど、心配してるのが声のトーンからわかる。

初期だから何の自覚症状もなくて、痛いもつらいも無い、心も落ち着いてるから、大丈夫やで〜、って言いながら、心の柔らかいところが刺激されて、泣きそうになる。「痛いのはかなわんけどな、がんばんねやで〜」と言われて、電話は終わった。

ことわっておくと、私たち親子はそんなに仲がいい方じゃない。弟の死とか、もっといえば子どもの頃からのモヤモヤが、ボンヤリとわだかまりのようにあり、普段連絡は滅多にとらない方。たまの電話も、つまらないことで、言い争いをしたりする。

お父さんが、私のこと心配してるけど、決してパニックになったり、必要以上に悲観的になったりしてなくて、安心した。



今日は外出から帰ったら、カレーができていた。

新しいクライアントさんの事前アンケートが届いていた。

父からの電話があった。

癌だけど、シアワセ、な一日だった。


親に心配かけるのは嫌だ、っていう人、多いと思う。

昨日は大阪の私の実家から、息子あてにチョコやらおもちゃがたくさん送られてきた。息子(4歳)は「俺、もててんじやね〜?」と大喜び。今日、お礼の電話をかけてみる。実家に電話するのは久しぶり。そう、癌のこと、まだ言ってなかったのだ。

はずんだ声で息子と話す母。そのまま切られそうになったので、慌てて引き止める。
「お母さん、あんなあ……」
胸につっかえができて、ちょっと言葉に詰まる。
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