パーソナルコーチ「はる」の、乳ガンとともに生きる日々

コーチが「がん」になったらどう変わっていくんだろう?

ニックネーム はる
名前 北條良子(ほうじょうりょうこ)
職業 パーソナルコーチ、研修講師。
資格 米国CTI認定 Certified Professional Co-Active Coach (CPCC)
HP  http://ryo-ko.net


2014年1月に乳がん告知を受け、4月に温存手術を受けました。現在はホルモン治療中です。癌告知をされた時は、やっぱり頭に死がよぎりました。元気になったいま、残された命を、同じように病気で悩んでいる人のために使うことを決めました。

あなたは乳がんを経験して、これからどう生きたいですか?
コーチングという対話を使って、自分の中の答えを見つけませんか?

神奈川県在住。小学生男児、1児の母。




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カテゴリ: 手術までの道のり

今日は入院の前夜。まずは準備について…
とはいっても、現代はすごいもので、パジャマはレンタルしてもらえるし、病院にコンビニもある。だからモノの準備はわずか。


「手術後は傷が痛くてブラが無理だった」という乳がん先輩の感想を聞いて、ユニクロでブラトップを購入。リアルな意見はありがたい。


今回はモノよりプロセスの準備が大変で。
私の付き添いには、明日に大阪の母が来て、日曜日まで。母のためにホテルを取り、東京の地図を送る前準備が必要だった。


息子は明日、明後日をシルバー人材センターのおばあちゃんの手を借りて保育園に送迎できるよう手配。土曜日から来週の木曜日まで日光の義実家へ。初の1人お泊まり。


彼は泣くかもしれないな…でもかわいそうだという気持ちはあまりない。5歳なら、1人で行かせられるキャンプやスキーツアーもあるくらいだ。義実家の母も「何事も経験よ」という。その通りだと思う。さみしいのは、私の方だ。


いよいよか…と感慨深い。
この2週間、いろいろな乳がんブログを読んだ。大抵は手術後、抗がん剤治療が終わってホルモン治療に移ると、徐々に更新の回数が減って行く。それは幸せな現象だ…段々と薄れていく、自分が病人である、という感覚。


でも…なかにはブログを再開するひともいる。それは再発や転移を意味していて…

あるブログの最後、書けなくなった本人に代わって、ご主人がこう投稿されていた。

『私はガンという病気を憎みます。この病気がいつか人類から無くなることを切に願います』

彼女はこの優しいご主人と2人の小学生を残して逝ったのである。


私、この病気に打ち勝ちたい。
それは自分のため、家族のためであるだけじゃなくて、この病気で亡くなった全ての女性のため、これからこの病気になる女性のために。


現代医療には、様々な批判がある。私も標準治療を受けないように勧められることもある。
でも…昔は不治の病だったであろう乳がんが、標準治療の浸透で、ステージ1なら10年生存率90%にまでなっているのも事実。

私の存在が、人類がこの病気を克服できる証に、どうかなりますように。生存率100%の実現に寄与できますように。


そんなことを願う夜である…

『地獄のまっただなかにいると思ったら、そのまま駆け抜けろ』と言ったのはイギリスの元首相チャーチル。


この2ヶ月間ずっと傍らに置いてきた言葉。


文字通り駆け抜けて、今、やっと一息つける場にたどり着いた…でもこれは私1人の力じゃなくて、助言をくれたり、人とつなげてくれたり、私のとめどない繰り言をトコトン聴いてくれた人たちのおかげ。



その中の1人に友人の智子さん、がいる。いわゆる地元のママ友だ。今日は彼女を記録に残しておきたい。



ふたつ目のしこりが癌なら全摘、とS大学病院で説明されても、私はどうしても乳房を失うのがイヤだった。思いきれない…その想いでモンモンとしてたけど、周りの家族、友人に話すと、「それは全摘をした方がいい」っていう人の方が多かった。


だから悩んだ…
自分の想いがワガママなんだろうか?、
病院の梯子をするのはムダなことなんだろうか?って。後どうして私の気持ちをわかってくないんだろうという感情もあって、なんだか孤立した気持ちを抱えてた。


今となっては、そりゃそうだろう、って思う。関係が濃い人ほど、私を失うのを恐れてくれるものだから。



Facebookを見て連絡をくれた智子さんに、ファミレスで、自分の想いを言ってみる。やっぱり全摘を勧められるのかしら…なんて思いながら。



私の、想いだけが先行してわかりづらい話を聞いた後、彼女はこういった。



「あのね…。私…股関節の病気で、3歳まで歩けなかったの。3歳の時に手術して、歩けるようになった。でも脚にこーんなに大きな傷が残ったのよ」

そう言いながら、彼女は腰から太ももまで大きく指を滑らせた。

そうだったのか…全くふつうに歩いているから、何にも気づかなかった…


「だから傷を見ると、今でも手術なんて受けなきゃ良かった、って思う時があるわ。」そう言いながら、まだ言葉を続ける。



「私のお母さんだってね、甲状腺の癌で、何年か前に手術したの。そしたら首に傷が残って…もうお婆さんなのに、すごく気にして、スカーフを巻くのよ。」

今度は首の前で手を真一文字に滑らせた後、スカーフを巻くマネをする。


「だから……はるさんが胸を切りたくないって思うのも当然よ。医療には質を求めていいと思うわ。質って大切よ。」


医療の質…
おなじ乳がん患者でも、見つかった時点で「もうこれは全摘をするしかない」って人が大勢いる。ネットにその情報は溢れてる。それを思うと口には出しづらかったことを彼女はズバリと言ってくれた。


命はもちろん大切。だけど他にも大切にしたいものがある。


いつも気さくで爆笑ばかりさせてくれる彼女。

いつもと違う彼女の言葉は、とても私の力になった。もちろん人生には、つらい決断をしないと生き残れない時がある。でも…まだ…やるだけやってみよう、諦めるにはまだ早いって。


これを読んでる人の中に、もし何かを諦めようとしている人がいたら、伝えてみたい。


諦めるには、まだ早いかも、って。




*この後、私は乳がんの先輩患者に会って、様々な話を聞く。中にはやっぱり全摘を選択しないといけなかった人も多かった。その人たちは、みな優しくて、私の検査の結果が良いよう願ってくれて。いろんな気づきがあった。その話は、また後ほど……

「うん、肺も肝臓も転移は無かったね!」
クルリ、と椅子ごと体をこちらに向けてK先生がにこやかに言う。

思わず「良かったー!」とおなかの底から声が出る。


今日は済生会中央病院。新しく現代的な新館と、古めかしくて暗めな本館がつながって、まるで迷路のような病院だ。ここで手術前に最後の検査。1番重要なのは、CT。


もともとの腫瘍が小さいから、まさかと思ってはいたけど、やっぱり遠隔転移があったらどうしようという不安。


まれに…とても少ないけど…この段階でそれが見つかってしまう人もいる。肝臓や肺に転移があると…それは「どこまで命を引き延ばせるか」という最終ステージを意味する。


今日は夫も一緒だ。

「ご主人もとても心配されていたと思いますけど、安心して下さいね」

コクリ、と頷くだけの夫。よその人から「まるで湖の湖面のような」と評されるほど無口なタチなのだ。


「転移は血流とリンパ、この二つのどちらかにガン細胞が乗って起こります」と先生が続ける。


そういって、診断をどう見たてたのか、重要臓器一つ一つを画面を使って説明してくれる。

それは正直、影や線がたくさん写っていて、私には腫瘍との違いはわからなかったけど、その丁寧さ、に信頼性を感じた。


私は脇のすぐそばにしこりがある。脇にはリンパがたくさんあって、癌はまずここに転移して、全身に広がっていく。だから、いつも不安だった。


K先生によると、
・リンパの流れは、脇から乳輪に流れて、さらにまた脇に戻ると言われている。なので脇にしこりがあっても、すぐに脇リンパに転移するわけでは無い、
ということだ。


そこはガン研有明とは、違う見解なんだなあ、と改めて医療は医者の考え方でずいぶん変わることを実感する。


ガン研有明のI先生は、繊細に言葉を選びながら、「そこは医者によって見解が異なるね。脇に近いとリンパに転移しやすい、って主張する医者もいる」って回答だった。


脇のリンパ転移は、最終的には、手術時に検査してからでないとわからない。あぁ、神のみぞ知る世界。転移が判明すれば、抗がん剤使用の可能性も見えてくる。


この後は手術とその後の治療について。

・ 手術は4/18に決定。前日からの入院。
・ 通常は1週間程の入院。
・ 腫瘍の周囲を2センチ程度くり抜く。全摘にはならないだろう。
・ 手術時にリンパ節を少し取り、転移が無いか、同時に確認する
・ 転移が無ければ、その後は放射線治療とホルモン治療を行う。


「いろいろ不安があったと思いますけど、結果オーライですよ」先生の明るい声に、本当にそうだな、と心から思う。



セカンドオピニオンで新しいしこりが見つからなければ、S大学病院がしこりを見落とさなけば、私は今、安心できる医者に会わなかった。モヤモヤしながら、大学病院で切られてたろう。


もっと言うなら…
2013年の夏に「胞状奇胎」という異常妊娠で、2回手術して…子どもを得て無くすというメンタルの不安定さと、肉体的な手術のつらさと…手術しても「絨毛癌」という癌に5%ー10%の確率で移行する不安と…

とにかくこの頃はグシャグシャだった。ベッドから起き上がれない日があった。


この経験があったから、今、なんとか「乳がん」という病気と渡り合ってる気がしてならない。


物事が起こる、その順番には、全て意味があるんじゃないか。




夫は会社に帰って行った。


外に出ると、小さな子どもを連れた家族連れが、空を指さしている。


真っ青な空と赤い塔。


春は、すぐそこに来ている。
2014-03-24-11-53-05






















とうとうマンモトーム生検の結果を聞く日がやってきた。「たぶん良性だよ」と自分を励ましながら、でも時に心配になって夢中でネット情報を見てしまう日々。見ても自分の癌は何も変わらないのにね…安心できる証拠が欲しくてサーフィンしてしまう。


朝9時に亀田京橋病院へ。
私の前には1人しかいない。シーンとした待合室。K先生の暖かな声がして診察室に呼ばれる。


「やっぱり悪いものは出なかったね。」
朝の挨拶もそこそこに、画面を見ながら先生が言う。ほー…胸の重石がやっと取れる。がん研でセカンド・オピニオンを受けてからの3週間、長かった…


「良性のしこりは経過観察にして、当初の予定通り脇に近いしこりだけを、切るのでいいと思うよ。」
二子玉川のH先生や、このK先生は「見た目」というのも大切だと考えているよう。できるだけ切らない方法を提案される。



切る部分が決まった今、「どこで」「誰に」切ってもらうのか。どうする?私が大切にしているのは何?

K先生によると、
・ 亀田病院で切る場合は、千葉県鴨川にある本院になる。事前のCTも本院でする。また執刀は別の先生になる。術後フォローは東京で行える。

亀田病院は、差額ベッド代が発生する部屋しか無い。それはお金がかかるが快適ということでもある。遠いのが1番のデメリットだ。

・ 6月末までは、赤羽橋の済生会中央病院に在籍しているので、そちらでも手術できる。術後フォローや放射線治療もそちらでやる。7月からは京橋亀田クリニックに転院してくれば良い。

ただ申し訳ないけど旧館だから古いし、大部屋だけなんだ、と申し訳なさそうに先生が言う。その場で2人で済生会中央病院のHPを見る。確かに旧館は…だ。



「二つの病院で手術の方法は違うんでしょうか?」と質問してみる。私は帝王切開で出産している。その時、病院で教えられたのは、医師によって「術式」は違うということ。医療は日々進化している。体に負担の無い技術が開発されていってるし、どのような技術を持っているのか、病院ごとでなく医師によって違う。


「そうだね、あまり変わらない…と思うよ。どちらも内視鏡でやるんだ。ただ、亀田病院は、穴を二つ開けるのに対して、僕は一つだ。できるだけ傷は少ない方がいいと考えてて、3年前から実施している。」


内視鏡手術というだけで日本では先進なのに、先生はその先に挑戦しているんだ。


世の中にはどれだけ初期で発見しても、癌のタイプ、できた場所で全摘を選ばなければならない人がいる。それはこの3週間で乳がんの先輩に会ったり話して実感した事実だ。たとえステージ0でも…全て切る…その気持ちは、想像できない悔しさだったろうと思う。
だから正直「美しさ」にはそこまでこだわってない。残るだけで満足だ。ただ……私が先生の話から感じたのは、この乳がんという病気に対する「情熱」だった。


「先生に執刀してもらいたいです。済生会中央病院でお願いします。」

私が下した決断。
4月に済生会中央病院でK先生に執刀してもらう。日付は未決定けどGW前には。


以前の大学病院の主治医は、「俺は火曜日に手術するから、金曜にしたい時は他の人に頼んであげるね!」と気軽に言ったもの。その言い方に「まるでコンビニみたい…」と感じてた。そのやり方は私には合わない…命を預ける人は、自分で選びたい。


まだ手術までにCT検査が残ってる。脳、肺、骨、肝臓に転移が無いか調べる。これは大学病院でMRIで終了していると思っていたもの。なんていう説明不足。不安はあるけど…乗り越えていきたいと思う。




最近やっちゃった失敗。
「はじめまして」で、「セキララに書きます」って言っているので書いてみる。


つい先日、初めて会った人たちとランチに。
とても楽しみにしていたんだけど、 その場の話題がネガティブトークのオンパレードで。そしてアドバイスを求めてくる割には、「でも」「だって」と受け取ってもらえない。とても…とても書きづらいけど、イライラして「○○さんって、アドバイスを求める割には、全然受け取りませんよね」とハッキリ言ってしまった。ニッコリ笑顔で。

笑顔なのはもちろん楽しかったわけじゃなく、研修講師のユニフォームみたいなものである。

その場は「はるさんって、結構ハッキリ言うのね!」アハハ、と笑い話で済んだけど、終わってから本当に反省した。相手を傷つけたかもしれない…




コーチングを受けたり学んで、自分が変わったなー、って実感する1つに、「ネガティブなことを言う人が寄ってこなくなった」っていう現象がある。

それはもう見事にお呼びがかからない。メールもランチのお誘いもこない。


ここで言う「ネガティブ」っていうのは、「悲しい」「苦しい」「悔しい」「さみしい」「怒ってる」っていう気持ちじゃない。そんなの誰でも感じるし、もうぜひ言ってもらいたい。私も言いたいし、聞いて欲しい。


そんなのじゃなく、「他人や組織の悪口」「こき下ろし」、でも「自分は正しいから1㎜も変わりたくない」っていうお話しのこと。

1㎜も変わらないので、いつ会っても話は同じところをループしてるのが特徴。

お呼びがかからない理由はとても簡単で、私が話に同調しないので、とてもつまらないのだと思う。



家に帰って、「どうして、あんなにイライラしちゃったんだろ?」って考えてみた。ううん、考えるというより、自分のイライラに潜る…どっぷり感じてみる。

深く深く潜ってみると、底にあったのは「うらやましい」っていう私の気持ち。

「私は生きるか死ぬかで悩んでるのに、こんな小さなことで文句言って」とか、「人間いつ死ぬかわからないんだから、とにかく行動したら?」とか。


「他人を見下す人は嫌い」と言ってるのに、見下してるのは、私。バカバカバカ…


表面は明るいけど、内面は少し疲れてる。
こないだ受けたマンモトーム生検の結果を聞くのが怖いっていうのも大きい。
今は自分のペースを大切にする時かもしれない。





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