パーソナルコーチ「はる」の、乳ガンとともに生きる日々

コーチが「がん」になったらどう変わっていくんだろう?

ニックネーム はる
名前 北條良子(ほうじょうりょうこ)
職業 パーソナルコーチ、研修講師。
資格 米国CTI認定 Certified Professional Co-Active Coach (CPCC)
HP  http://ryo-ko.net


2014年1月に乳がん告知を受け、4月に温存手術を受けました。現在はホルモン治療中です。癌告知をされた時は、やっぱり頭に死がよぎりました。元気になったいま、残された命を、同じように病気で悩んでいる人のために使うことを決めました。

あなたは乳がんを経験して、これからどう生きたいですか?
コーチングという対話を使って、自分の中の答えを見つけませんか?

神奈川県在住。小学生男児、1児の母。




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2014年05月

たまには自分のことを誉めようと思う。許してもらいたい。


先週から会社のマネジメント層向けに、コーチングの研修を実施している。

「コーチなんだから当然でしょ?」と思う人もいるかもしれない。でも私は普段はコールセンターのオペレーター向けに電話応対やお客様とのコミュニケーションを教えているので、完全に畑違い。それを「私、コーチングを勉強しているんです」と言い続けて2年。やっとやらせてもらえた。幸せである。


研修内容は今の私を反映して、プログラムはワークとセッションがギュウギュウに詰まっている。1分単位の進行で綱渡りなこと、この上無い。

でも、誉めたいのは研修をしたことじゃない。

研修なんて内容もファシリテーションも課題だらけ。これから受講生のアンケートも返ってくるし、そこからまた改善が始まる。またやらせてもらえる機会があるかわからない。


そこじゃなくて・・・
実はこの研修、去年却下されている。

上層部を受講生にして、プレ研修を実施した。その感想は、

「はるさんのやりたいことは大切なことだと思うけど、コーチングができるようになるまで時間がかかるよね?もっと手っ取り早くできないの?」だった。


上層部としては、決まった質問をフォーマットに沿ってやっていく、ツールを期待していた様子。でもそれって私のやりたいことじゃない。決まった型にはまるの大嫌い。

結局1年、この研修はペンディングすることになった。

じゃあ、自分の何を誉めたいのか。

私は、この1年、会社をご機嫌で過ごしていたことを誉めたい。


昔の私は、生産物(研修)へネガティブなフィードバックをされると、自分をけなされたように感じる、切り分けができない子どもだった。「すねる」、「やる気をなくす」、「落ち込んで立ちあがれない」の3拍子だったと思う。


そこを切り分けられるように、かつコーチングとはコーチの「在り方」が大切だと意識して1年過ごしてきた。その姿勢がこの研修を引き寄せたのだと思いたい。しばらく忙しい。でも幸せである。


普段、「時間が無い」といつも思っている。イライラする気持ちも感じてる。


「やるべきこと」「やらなければいけないこと」が目白押なのだ。いや、目白押しと「感じているのだ」。一体、私は何にせかされているんだろう?

何気なく、友人に貸してもらった『ムダとり時間術』(日経文庫/著:渥美由喜)を読んでみた。この本は、ワークライフバランスの大切さを説いた本で、早く帰るための仕事の取り組み方について触れてある項が多い。ここから得た結論からやってみたのが、「デジタルデトックス」。正確には「facebookデトックス」。


本の中で紹介されてて、「懐かしー!」と思ったのが、『7つの習慣』(キングベアー出版/著:スティーブン・R・コヴィー)で紹介されていた、業務を「重要度」と「緊急度」で分けるという考え方。『7つの習慣』は10年ほど前に流行った自己啓発本。

詳しくいうと、業務を「重要度」と「緊急度」で4つに分ける。

①重要かつ緊急


・締め切りがある仕事
・せっぱつまった問題
・病気や事故


②重要だが緊急ではない

・人間関係づくり
・勉強や自己啓発
・健康維持

③緊急だが重要ではない

・多くの電話
・多くの会議や報告書
・無意味な接待やつきあい
・雑事

緊急でも重要でも無い

・ひまつぶし
・だらだら電話
・多くのテレビ


カテゴリー分けを読んだだけで、思い当たる行動が、頭の上に浮かんでくる。すいません、って謝りたくなる。
日常追いかけられている「急かされる気持ち」の正体は何か?
これをやればわかるかも!?

そういう気持ちでフセンを片手にやってみた。

そして出た結果が・・・

①重要かつ緊急

・病院通い(文字通り命かかってるから!)
・洗濯(サボると、こどもが着るものが無くなるから。大人はなんとでもなる)
・仕事や保育園の締め切りのある提出物


②重要だが緊急ではない

・病気でお世話になった人へのお礼
・子どもと遊ぶ
・仕事上の新しいチャレンジ
・自己啓発系


③緊急だが重要ではない

・もろもろの家事(めっちゃ細かくいろいろあった)


④緊急でも重要でも無い

・facebook
・時間があったらやりたい季節物の洗濯や大掃除
・ブログ(病状も落ち着いたし、頻繁な投稿じゃなくて良い)

やっぱり①は後回しになりがち。そして④が占めている時間の多いこと。特にfacebookはスマホアプリで見るようになってから、格段に時間を割くようになった。


偶然にも友人がfacebookを一時休止しようかと相談してきてくれて、一緒に一時期離れてみることに。えいやってアプリを消去してみる。2週間離れてみて・・・

すぐに気付いたのは、隙間時間がすぐにできたということ。通筋時間や、ちょっとした待ち時間、ランチの10分が読書に早変わり。①に時間を振り分けられるので、時間の使い方に満足度が高まる。

ただブログは続けたので、スマホから頻繁にのぞくことになってしまって、完全にスマホからは離れられなかった。ブログアプリの消去も検討中・・・

他の効果は、気持ちが安定すること。
facebookは友人の近況もわかるし、魅力的なイベントのお知らせもくる反面、みんなが遊び・学びに満たされているのを見ると、なんとなく「私もやらねば!」とやらねば感が高まっていた。そこを手放せたのは良かった。


これからfacebookはPCからだけにして、移動時間を使わないようにするつもり。


そうそう、もう一ついいことがあった。
夫が家事を手伝ってくれる割合が多くなった!

夫には何も言っていないから、不思議だったけど・・・・



思い当たることといえば。

できあがったフセンをきれいにカテゴリー分けして、画用紙に貼り、寝室の壁に飾っている。
そこに、ショッキングピンクのフセンで「家事はやらなくても死なない/1人でやろうと思うな/誰かに頼め」ってなんとなく書いたんである。

自分の気持ちを楽にするため、だったんだけど。

思いがけない効果、にウシシとなっている。



5/8からいよいよノルバデックス(ホルモン抑制剤)を開始。これは飲み薬。「リュープリン」という注射タイプも6月から始める予定。それぞれの副作用を確認したいから、少し時期をずらすみたい。


同じように闘病している方々のブログを読み、正直にいうとあった「ホルモン治療イヤだなあ」という気持ち。そういう気持ちでノルバデックスの銀色を包み紙を見ると、恐れに似た気持ちも湧いていた。


人間未知のものって怖い。


ノルバのよくある副作用は、ホットフラッシュ(急に火照りを感じたり、汗をたくさんかく)。予告のないカーっとくる感じに四苦八苦しているみんなの様子が痛々しい。


やだなあ、やだなあ…って思ってたけど。
「よく考えたら、この薬お守りだった!」って飲む直前に思い直した。

もちろん再発・転移防止のお守りである。

こないだの手術で、目に見える転移がない事は確認できた。でも乳がんは全身病と言われていて、しこりがあると気づいた時には、もう微小なガン細胞が体中に運ばれてるという。

それらは女性ホルモンをエサにして、長い年月をかけて、骨、肺、肝臓に転移として発現することがある。


そうだ、そんな怖いことから防いでくれるお守りだった!


そう思うと少し気楽になって、「ええい」って飲み込めた。


結果は………




なーんにもない!


全て取り越し苦労。
いつもの心配し過ぎ!だった。いつもの。

私はいつも最悪の結果を想像しておく。実際にはそこまでにならないことが多いから、「ああ、良かった」なんて胸をなでおろすことが多い。それに何の意味があるのかというと、言ってみれば「保険」。状況を軽く考えて、後で痛い目を見ないための。

でも最近、もういい加減この思考回路をストップしたいと考えている。

だって・・・

だって疲れるんだもん!

「起きるかもしれない」ことに気をもんで、心配して、「やっぱりそうならなかったか」と喜んで。

あぁ、イヤイヤ、少しだけ、私が成長していたこと。
ノルバデックスの副作用を、みんなのブログでは確認したものの、ネットでこと細かくまでは調べなかった。
ちなみに…今、ブログを書くためにノルバの副作用を調べたら、全部で80以上あった。

多過ぎやろ!


「うまく話せない」「意識が薄れる」なんかは、かなり勘弁してもらいたい副作用だ。

ホント、調べなくて正解だ。

久しぶりの済世会中央病院。久しぶりの東京タワー。


手術後3週間、退院後2週間が経って、健診の日がやってきた。
病理検査の結果も出ているはず。果たして抗がん剤をするのか・・・胸がドキドキする。


途中、病院脇の有名なパン屋さんで、クロワッサンやアップルパイを購入。病室のみんなで文鳥みたいに並んで、病室の窓から指をくわえて眺めたパンたち。


陽光が差し込む新館の3番窓口が乳腺外科。15:30が予約だから、15:15には到着したけど、全く進む気配が無い。


また診察室の前で待つ。じりじりじりじり・・・途中受付にも訴える。18:00には出なきゃ。保育園のお迎えがある。



そして・・・・診察室に呼ばれたのは、17:40!2時間10分待ち。他の科は全て診療は終了している。広い待ちあい室はガランとして、乳腺外科の前にしか人はいない。

久しぶりにあったK先生はめずらしく眼鏡だった。
多くの人はそうだろうと思うけど、私も自分の主治医が大好きだ。「眼鏡の先生もかっこいいなあ」なんて思いながら椅子に座る。

「ごめんね待たせて」と最初に謝ってくれるK先生。

先生の診療は時間がかかるけど、それだけ丁寧に患者に説明するということ。さっきまで診察室のすぐ前で待機している時、前の患者さんと話している声が漏れ聞こえてた。MIRや手術の同意書という単語。先生が患者を元気づけ、励ましている言葉も。2カ月前の私と同じ。全ては必要なプロセスだ。だから先生のお詫びに、大丈夫です、と答える。


「えっと、まだ病理検査の結果を言ってなかったよね?」と話が切り出される。きた!っと少し緊張する。

「これを見て」と言って向けれたPCの画面。そこに映っていたのは・・・・私の癌細胞の写真だった。

それは黄色と黒のマーブル模様で。団子状だが、表面はでこぼこしている。見て気持ちいいもんじゃない。


「結果は良かったんだよ。」と笑顔でK先生は説明してくれる。その笑顔に安心感が広がる。

「癌は完全に取りきれたよ。リンパは5つ取ったんだけど、リンパ節への転移も無かった。大きさは1㎝×0.7㎝だったよ。グレード1といって、癌の顔つきもいい。ホルモン受容はあって、Her2はネガティブ。ホルモン治療が非常に効くタイプと言っていいね。ぼくたちはこのタイプはルミナールAと呼んでいる。おとなしい癌だし、まだ早期だから・・・治るよ。心配しないでね。」


「治るよ」って先生に何回も何回も言われて、本当にそういう気持ちになっている。刷り込みって大事だ。

抗がん剤は必要ない、と言うのでホッとする。傷口も今は肉がもりあがっているけど、いずれきれいになるということ。


「それより・・・」と言って、先生が私の腕を持ち上げる。「ここがピンと張っているのがわかるかい?」

ヒジの内側の筋を押さえられる。そこが突っ張って、あがらない腕。私が「小人がワイヤーをひっぱってる」って妄想しているところズバリだ。

「ちょっとあれをやってみようかな?」と言われて「うわ、マジですか!!」と思わずは大きな声を出してしまう。

「あれ」っていうのは・・・退院の日にされた、腕の筋を伸ばして、皮膚を筋肉にくっつけるマッサージ。「うぐああ~」って、女性としてどうかと思う声がでるほど痛い。正直、入院中の治療で一番痛かった。


先生は気の毒そうな顔をするものの、「必要なことだから」と言うので、私もあっさり覚悟を決める。痛みに対する抵抗を捨てられるようになったのは、経験のたまものだ。

「はい力を抜いて~」と言われて、上半身を脱力。と、先生は私の左腕をサッと高速で振り上げる。

「パキッ」

筋が切れる音がした。腕を振り上げられたのは痛かったが、キレる瞬間はさほどでもない。緊張しすぎて弱い吐き気がする。終わると腕がずいぶん上がるようになった。小人は綱引きに負けたのだ。

おうちでも、よくマッサージや体操で稼働域を増やしてね、とのこと。じゃないと次回もまたやられるらしい。


その後は、術後1カ月目から始まる放射線治療の予約。乳房内に再発させないためだ。始まったら1カ月、連続して通う。放射線医と会うのは5/19となった。

あと、予想しなかったのは、ホルモン治療の開始が明日からとなったということ。副作用が出るのか、早めに確認したいと。いよいよ疑似更年期の始まりだ。

人間って未知の者に対して不安が起きる。私も今、不安だ。さんざん他の人のブログでも副作用の報告を見たし。でも副作用の無い人も多いというので、どうかそちら側でありますように。
気楽に・・・気楽に・・・ゆるーく脱力することを心がけていきたい・・・・

とはいえ帰りは爆走した。お迎えには、まず間に合わない。次から午前中の診療にしてもらわなきゃ!
それが今日の教訓だ。






「乳ガン」という恐ろしい病気にかかって、周りの人からたくさんの人に愛、勇気、励ましをもらった。
中でも同じガンの先輩から話を聴く、という経験は、本当にありがたかった。


治療の経緯を聴かせてもらうのも、自分の心境に心から共感してもらうのもありがたい。そして何より今、目の前で輝いている人を見ると、「病気になったのは、何かが変わるきっかけなのかも」「自分もこうなりたい」「なれるんじゃないか?」って思えてくる。希望がもらえる。


私は主に、facebookを通じて乳がん先輩を紹介しえもらったけど、世の中にはひょっとして1人で悩んでいる人もいるかもしれない。特に20代、30代の発症者は少ないのだ。


だからブログを通じて、私が聞いた話をシェアし、もらった愛、勇気、励ましが読んだ人にも伝わるために、、「Canser surviver interview」という企画を考えてみた。私、この3つを世の中に循環させていきたいみたいだ。今日はその1回目。スタイリストの河面乃浬子さんを紹介する。


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2014-03-31-14-58-29

















体は小さくとも、パワーがあふれ出してる人っている。明るいオーラとしなやかな意志。乃浬子さんはそんな女性だ。

----------乃浬子さんが乳がんであることがわかったのはいつなんですか?
「もう15年くらい前になるかしら。その頃私はNYのジュエリーショップで働いていて・・・2年連続で乳がん検診で「グレー」、つまり要経過観察と言われたのよ。検診に行くと、私だけブレストサロンに居残り。そして生検に送られる。それでも結果が出ないのが、とにかく不安でね。同じ時期に子宮筋腫の摘出手術をしたのもあって、ちょっと疲れちゃったのかな。ウフフ。ちょうどNYで『やりたいことはやり尽くした』って感じもあっから、帰国を決意したの。そして帰国後数年経って、やはり乳がんが進行していたことがわかったの」


乃浬子さんは、広告会社を経て、フリーランスのスタイリストとして、いろいろなCMのスタイリングを手がけていた。聞くと、ポール・ニューマンやハリソン・フォードといったハリウッドスターとも仕事をしたことがあるのだという。

好奇心が動く。

----------日本での仕事も充実していたのに、どうしてNYに行こうと思ったんですか?
「そうね、ライトパブリシティというすばらしい広告会社から、フリーのスタイリストになって結構活躍していたから、それまでの貯蓄をぜ〜んぶ持って行っちゃった(笑)33歳の時だったわ。直接のきっかけはポール・ニューマンが出演するCMの仕事をした時、アメリカのスタッフの仕事ぶりに出会って、『このダイナミックな人たちと働きたい!』と思ったの。直感?かな!」


乃浬子さんの笑い方はカラカラと気持ちがいい。その笑い方を見て、「この人はやりたいことをやってきた人なんだな」と感じる。当時は湾岸戦争でNYは不景気、仕事もままならなかったけど、そんな中でもニューヨーカー達の遊び心は、常に刺激的だったそうだ。


----------どうして乳ガンになったんだと思いますか?
「NYに行って最初の2年はパーソンズでインテリアデザインを勉強したのね。寝る間もないほど課題が大変で。あの頃のストレスや食生活…つまり当時の私のライフスタイル(生活習慣)が、ガンを作ったんだと思う」

タフな学校生活を思い出したのか、乃浬子さんの顔がフッと曇る。「もう1回しろって言われても、もう絶対ヤダなぁ」って子どもみたいでカワイイ。
学校を卒業してからは、インテリアショップやジュエリーショップで働いていたということ。


----------日本での治療はどんな経過だったんですか?
「私の場合、母が先に乳がんであることがわかって。叔父が以前、東京医大の学長だったので、診察についていったのよ。そこで『先生、私も実はNYで』で言ってむりやり診てもらったの。最初は『あなたみたいな若い人が』って言われたけど、触診をして、ハッと先生の顔色が変わったの。」

患者って敏感だ。触診をした時、マンモやエコーの映像を見た時の医者の様子が、言ってみれば軽い告知だった人も多い。私の場合は、マンモを見た医者と看護婦が、バックオフィスに「生検出るかも」って言ってるのをカーテンの陰で聞いた時だけど。

「はるちゃんのブログを見て、思い出したんだけど・・・病院の連絡ミスでね、全摘の手術を、もう私に告知をしているとサブの先生が勘違いして。『全摘手術の日程は…』っていきなり言われて。『聞いてない!』って愕然として…ホントに悲しかったわ」

乃浬子さんの乳がんは、乳房に広がるタイプで、リンパ節にも転移があった。ステージは2b。ホルモンレセプターはプラス反応。


---------どうしたんですか?
「『徹底的に検査し直して納得がいくように説明してください』ってお願いしたの。そしたら先生方が改めてMRIを撮り直したりして『ここまで調べて、全摘が必要な状態なんです』ってところまで落とし込んでくれて。そっか…って納得したのよ。 母も乳がんっていう診断だった。母のケースは他の病院だと『術後1カ月入院』と言われていて、主婦だし困るじゃない、1カ月も。途方にくれていたところをこの東京医大の先生は、『1カ月?あなたの場合は日帰り手術で大丈夫ですよ』って言われてね。そしてその通りになったのよ。母は今も元気で暮らしている。ホントに医療って先生や病院との相性ってあるよね。自分で選択する大事さをその時学んだわ。」



----------そして、片胸を全摘された・・・再建しないのはなぜですか?
「何度か先生にオファーを頂いたけど、どうしても体に異物を入れるのがイヤなのよ」

乃浬子さんはあっさりとそう言った。リンパ節転移があると、現代の標準治療は抗ガン剤治療を勧められる。それも「髪が抜けるほど強烈に、健康な細胞を殺すのがイヤ」と断ったそうだ。手術後はホルモン治療のみ。


乃浬子さんの話を聞いていると、「自分で選択する」ということを意識させられる。


「手術をして治してもらう、っていうんじゃなくて『自分で治す』っていう意識が大切だと思ってるの。自分で手術はできないから、お医者様を信頼して後は委ねる。自分の選択だからね。何が起こっても何とかなる、きっと健康に戻れる!と思ってると、なぜかステキなご縁があって惹きあっていくみたいなの。」


乃浬子さんは、心身を病んだことからセルフイメージが何より大切なことに気づいて、現在、外見と内面を統合する『セルフイメージスタイリスト』をしている。

セルフイメージって、自分に対するイメージってこと。既に持っているのに気付いていない、相手の魅力をライフタイルを通じて参加していきたい、そのためにBESMOWと言って、Breeze、Eat、 Sleep、 Move 、Wearの生きる基本を応援するライフスタイリストを目指しているとのこと。

だからウォーキングインストラクターも!
これはリンパ除去の影響で左手が上がらないため、リハビリを兼ねてビューティーウォークを始めたことから、つながっていったことなのだと。いろいろしてるけど、すべて流れにまかせていった結果なのだという。転んでもタダで起きないヒトだ。




----------最後に、病気になったことをどう思っていますか?
「病気も今の私の大切な経験だから、なって良かったと思ってるの。全ての経験があって今の自分になる・・・その中の病気という1ピースが無かったらパズルは完成しないわ。病気が私をこんなに成長させてくれたのだと思えたら、何事にも感謝できちゃうよね。」



乃浬子さんほど、乳がんを・・・ううん、人生の困難をポジティブ、いや、彼女流にいえば『楽観的』に捉えている人は珍しいのかもしれない。
でも・・・人生を振り返り、立ち止り、起こった出来事に意味を求められたら、どれほどたくさんの財産が潜んでいるだろう。それこそ・・・唯一無二の。それは誰にも奪われない宝物だ。


「ジャンプする時はいったん屈むじゃない?これからの人生が輝くためには1度とことん屈みこんでもいいんじゃないなっ」

そういう乃浬子さんの言葉を、とてもまぶしく聞いている私がいた。




☆乃浬子さんの今の活動はこちらで☆
URL
http://www.bonne-maturite.com/
http://ameblo.jp/bonne-maturite/
https://www.facebook.com/noriko.kawamo
https://www.facebook.com/bonnematurite?ref=br_rs



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癌を乗り越えて生きているサバイバーの方に、癌になって何が変わったのか、何か明確になったのか、その人生を聞くインタビューをしていきたいと思います。自分を語ることで、周りに勇気を与える存在になりませんか?まずは自分の知り合いから、と考えていますが、いずれは投稿を見た方に応募して頂こうと考えています。

読んだ方に存在をリアルに感じてもらいたので、基本的には本名と写真を載せさせてくださる方にしたいのですが、どちらか一方でもかまいません。皆様、考えておいてください。




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