パーソナルコーチ「はる」の、乳ガンとともに生きる日々

コーチが「がん」になったらどう変わっていくんだろう?

ニックネーム はる
名前 北條良子(ほうじょうりょうこ)
職業 パーソナルコーチ、研修講師。
資格 米国CTI認定 Certified Professional Co-Active Coach (CPCC)
HP  http://ryo-ko.net


2014年1月に乳がん告知を受け、4月に温存手術を受けました。現在はホルモン治療中です。癌告知をされた時は、やっぱり頭に死がよぎりました。元気になったいま、残された命を、同じように病気で悩んでいる人のために使うことを決めました。

あなたは乳がんを経験して、これからどう生きたいですか?
コーチングという対話を使って、自分の中の答えを見つけませんか?

神奈川県在住。小学生男児、1児の母。




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2014年04月

入院生活でヤキモキするものは、ドレーンがいつ抜けるのか、ということ。

手術2日後から、「明日は」と言われてもう3日経った。排出液が50cc以下になったら…と言われてるけど…今日はどうだろう?チューブの中の色は、暗い赤から、オレンジ、場所によっては透明な黄色に変わってる。


AM10:00 回診で、女性外科医が傷を見て「じゃあ抜きますね」と一言。

良かった…家に帰れる。
でも、皮膚の下に潜り込んでいるチューブをどう外すんだろう?

そんな疑問を見透かされたのか、「ちょっと変な感じがします。あと、少し痛いです」と言われる。


恐る恐る待ってると、チューブを根元で切る気配がして、ひっぱられる。


例えるなら…体の中を虫が這いずるような。ゾクゾクする感覚。痛みは…痛くないワケじゃないけど、どこからが痛いのか、既に痛みのラインがわからなくなってるので、問題なし。


あっという間に終わった。


PM18:00 親しい人から電話。待っていてくれる人がいるのはいいものだ。元気になろうと思う。


PM19:20 夫がくる。昨日、一昨日とかなり顔色が悪くて心配したが、今日は少し晴れやか。仕事が落ち着いたか。息子はまだ義実家で一度も泣いてないらしい。義母や義妹とパンを作って遊んでいる様子。彼も頑張っている。

たくさんの本を持って帰ってもらう。


PM19:40 乳がんの先輩のFさん、お見舞いに来てくださる。術前に気持ちをいろいろ聞いてもらえてありがたかった。お父様が隣の国際福祉大学病院に入院してるので、立ち寄って下さったとのこと。しばし談笑。「麻酔ってまた覚めるか不安よね」と話し合う。お父様の快復を私もお祈する。



寝る前…歯を磨きながら…窓から東京タワーを眺める。

ここは港区。タワーはとても大きく見える。

今日のイルミネーションは赤、青、白の協奏曲。オバマ大統領が来日してるから…でもフランスの国旗の色の方が連想される。見ていると、とても軽やかな気持ちになる。

病院の薄味に飽きてしまった。明日くらいは、フレンチが食べたいな。



だけど…自分に言い聞かせる。ゆめゆめ油断しないように。生活や習慣を振り返りながら生きなければ。これから10年という、長い再発転移が発生しやすい期間を乗り越えるんだから。


これからも、生きていくんだから。










入院生活も4日目。
いつもどおり、6時起床、7時朝食。9時の夜勤、日勤の看護婦交代の時、「今日、お風呂にはいりますか?」と聞かれる。何気なく、入ります、と答えて、手術後に胸を見るのが初めてだなあ、と気づく。少し緊張する。


今日は右隣のベッドの方が退院。
ウキウキした表情でお迎えを待っている。ジッと座っていられないようで、立ったり座ったり忙しい。


娘さんが迎えに来て、さわやかに去って行く。


13時。昼食後、風呂の時間。
ドレーンをつけたまま、どうやって入っていいんかわかんなくて、ナースステーションで聞いてみる。

年配の女性看護師が、私を担当している若い看護師を横目で見つつ、「あなたの担当でしょ?」って小さな声で言ってから、ニッコリ「ベッドでお待ちくださいね」と。


待ってると、さっきの若い看護師が来て、説明してくれる。
ドレーンを吊り下げているポシェットからバックを出す。パックは防水だから、濡れてもOK。傷口も防水テープで覆ってるから、濡れてもOK。行ってらっしゃい。


病院のお風呂は古いタイル張りで、家庭の風呂より少し大きめ。皆が気を使って綺麗に使うから、髪の毛なんかも落ちてない。


そっとサラシを解いて、陽光が明るく差し込む浴室に滑り込む。湯気でくもった鏡を手でキュッと払う。



もちろんあった。そこに新しい胸が。


まず、目に飛び込んできたのは、黄色と紫の色彩。すごい内出血、ということ。左胸全体が黄色くて、小さな鉤爪でひっかいたような複数の紫の線が、乳首から首に向かって走っている。センチネルリンパ節生検の跡だろうか…?


傷口は脇にあって、3cmくらい。想像したより小さくてホッとする。





でも…元々腫瘍があったところは、ペコっと凹んだようになってて、明らかに前とは違う、と感じる。全体的にも小ぶりになって、無くなった部分を補うために寄せられたのか、少し外向きにもなった。





体を洗い終わって着替えながら、「泣くほどのことじゃないな」って小さくつぶやいてから、気づく。


私…自分に嘘をつこうとしてるな…

本当はかなり泣きたい気持ちだ…



別に無くなったわけでも、形が悪いわけでも無い。


ただ、自分が別のものになった、という感覚。なくなったものに対する惜別の感情。



あぁ、私、自分の胸や体が、すごく好きだったんだなあ、って実感する。でも病気界に身を置くと、自分より辛い人、苛酷な状況の人にたくさん出会う。だから我慢しようとしてたんだなあ…



やがて私はこの胸を見慣れてしまって、元からこんなだったと思いだすだろう。


自然にそう思えるまで…空元気など出さず、少しさみしい、少し切ない気持ちも大切に過ごしていきたいと思う。





AM6:00 起床 。昨日と同じく起こされる。0時と3時に検温と血圧測定で起こされたので、熟睡できず夢うつつ。

AM7:00 朝食。普通のロールパン。とても美味しく感じる。

私がいるのは、消化器病棟なので、普通のご飯が普通に食べられない人が多い。すりつぶしたものをゆっくりゆっくり食べても、「アイタタタ」となっている。普通に食べられることのありがたさを実感。


AM8:00 朝食を食べられたのを確認して、点滴を外す。心電モニターも。残すはドレーンのみ。これは脇の皮下に直接潜り込んで、リンパ液を排出している。チューブの中は赤黒い血の色だけど、血ではなく、組織液とのこと。痛くは、ない。

着替えをして体を拭いてもらう。テーピングで胸は見えない。「あした、いよいよ見ますね」と気の毒そうに言われて、不安になる。


AM9::00 母から、「病院についたよ」とメールくる。下のタリーズで待ち合わせ。もう歩いているので、ビックリしたようだ。しばらく談笑する。母はこの後、六本木ヒルズに行くとのこと。元気でありがたい。見送る。


AM10::00 看護師から「髪を洗いましょう」と提案。洗面所で洗ってもらい、サッパリする。


PM12:00 昼食だが、左隣のベッドの方が腹水を抜く作業をするというので、向かいのベッドの人と、お盆を持って休憩コーナーまで移動。

向かいのベッドの方の人生を面白く聞く。


PM1:00 ベッドに戻ってくると、腹水を抜く作業は終わっていて、隣の人の顔はサッパリしていた。良かった。


PM2:00 1階のタリーズで読書。右隣のベッドの人に貰った女性誌の料理ページを見る。家に帰ったら、日々の生活にもっと野菜を取り入れたいな…


PM4:00 自分のベッドに戻る。右隣の人は明日退院ということで、顔に満面の笑顔。廊下をずっとウロウロしている。何時に迎えにくるとか、清算の話をひっきりなし。片やまだまだ見通しが経たない人もいて。悲喜こもごも。間にいて、感情を抑える自分がいる。


PM6:00 夕食。カーテンをみんな取り払って、話しながら食べる。看護婦さんに「あら、仲いいですね〜」。話しながら食べるのはやはり楽しい。


段々と腕の痛みが増して来たのを感じる。傷、ではなく筋肉の痛みか…ピリピリしたり、ひきつれた感じ。我慢できないというわけではないが、痛み止めを飲む。


PM9:00 消灯。ベッドでブログを書く。私が今、このブログで伝えたいことはなんだろう?手術前は、自分の想いを吐き出すように書いていた。あの頃は苦しかった。不確定な未来。命の危険。女性として、どうなるんだろうという不安。


みんなにこんな思いをして欲しくないな、と思う。これから私は乳がんの早期発見のため、検診を呼びかけていくとおもう。

だけど…もっと言うなら、「乳がんになって欲しくない」っていう方が強い。


どんなに早期発見でも、できた場所によっては、選択の余地なく乳首を切除したり、全摘になったり。

女性ホルモンを餌に大きくなるタイプの癌なら、2年以上の閉経も勧められる。


もし、あなたがこれから人生のパートナーを探そうと思っている女性なら?

もし、あなたがこれから子どもを作ろうと思ってる女性なら?

もし、あなたが小さな子どもを抱えたママなら?


この病気、女性の人生のターニングポイントになりまくりである。



自分が癌になった明確な理由もわからないけど…

乳がんのリスクファクターは、煙草、肥満、過剰なアルコール摂取と言われている。

ぜひ後から後悔することのないように…あなたが健やかな毎日を送れるように…生活習慣で気をつけられるところはぜひ…そんな思いが水面に湧く水泡のように浮かんでくる…


済生会中央病院の夕ご飯
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AM6:00 起床 電気をつけられる。 よく寝られてさわやかな朝。寝られない人も多いようで、睡眠導入剤を勧められたけど、いらなかった。去年、別の病気で手術した時は、シクシク泣きながらの睡眠だったから、すごい成長を感じる。看護師による血圧、酸素、体温測定。


AM7:30 研修医師2人が来て、点滴針を挿入しようとするが刺さらず。気分が悪くなって中止。


部屋に来た女性看護師に「針に弱いので、上手な人をお願いします」とリクエスト。


AM7:45 新しい男性医師が来て、一発で点滴針の挿入OK。うまい。


AM8:00 この時間までに実施するはずだった浣腸。病院が忘れてるな、と気づく。そのまま黙っておこうと決意。


AM11:00 大阪の母と主人が到着。父は「泣いてまうからアカン」と来なかった。


AM12:00 エコー検査。若い男性の技師なので居心地悪い。「自分で見つけたんですか?」と聞かれたので、そうだと答えると、かなり早い段階で見つけたとのこと。やはり早期発見でホッとする。
途中、K先生が来る。「大丈夫だね?」と笑顔。マジックで腫瘍部位をマークする。


AM12:30 手術着に着替えて、手術室へ。夫、母、看護師3人の計6人で行く。到着して、夫と母は待合室へ。


手術室はたくさんあり、オペがたくさん行われていることを実感。K先生、麻酔医、オペ担当看護師、サブの外科医らが次々と挨拶。白い巨塔のようにみんなを引き連れて、オペ台まで。


蜂の巣型のライト、たくさんのモニター。
TVドラマのようなオペ室。違うのは、とても狭いということ。

オペ台はとても暖かく、紙のような材質でできたドーム状のものを体の上にかけられる。心地よい。フー、と思ってると麻酔医が「じゃあ今から眠くなるお薬を流しますね」と。えー、そんな急な!『今からはるさんのオペを始めます』とかやらないの?と慌ててるうちに、眠くなってくる。咳き込むと、「麻酔の影響で咳き込みますね」と言われた辺りで意識が無くなる。たぶん1分もたってない。



15:05 「はるさん!」と大きな声で呼ばれて目が覚める。夢を見ていたので、わけがわからない。
「終わりましたよ」と言われて、オぺだっとことを思い出す。自然と涙があふれる。終わった…

わきの方が、中指くらいの長さで鈍く痛むので、その辺りが切られたんだな、と感じる。

家族が呼ばれてくる。
「麻酔から覚めなくて、手術が長引いたんだよ。周りには広がってなかったけど、もう一回細胞診断に出して、抗がん剤が本当に必要ないか調べるってさ」家族の晴れやかな顔で手術が上手くいったことを実感する。


そのままリカバリー室へ。「少し寝るわ」と家族に言って、家族はそのまま帰宅。


16:30 目が覚める。看護師と話して、17:30に歩行してみようとなる。


18:00 まずベッドの端に座る。そのまま10分。その後、看護師につかまって歩く。ふらつかない。
導尿カテーテルを主張して外してもらう。嫌いである。
そのまま自力で歩行してトイレへ。真っ青の尿が出てビックリする。たぶんセンチネルリンパ節生検という、リンパ転移が無いかの試薬の影響。他の人の闘病記を読んでなければ、ナースコールするところ。

導尿カテーテルで傷ついたのか、排尿がとても痛い。少しの量を15分かけてする。


18:30 リカバリー室から朝の部屋に戻る。同室の人から「足音がシッカリしてる」などと誉めて?もらう。


朝から絶食してるので、お腹がとてもすく。
普通に歩けるので、1階のタリーズまで行こうか悩むが、まだドレーン、点滴、心電モニターと3つも管をつけてるので諦める。

何度か傷口から出血してないか、確かめられたけど、切った左胸自体はガッツリテーピングされていてどうなっているのか、確認できない。少し不安。


21:00 痛み止め兼眠たくなる薬、抗生剤を飲んで就寝。


長かった一日が終わった。
麻酔で眠る直前以外は、平常心で過ごせた気がする。

ちなみに、オペから目覚める直前に見ていた夢は……
「地元のデパートにある服だけで、オシャレになれ、という指令を受けて悩んでいる」というものだった。

そんなこと今まで考えたことも無いのに。不思議。でも今回、あまりシリアスになりすぎず、手術を受けられたことが夢の明るさにも影響したのかもしれない。


入院初日は、ゆったりしてるような、せわしないような。入室は11時。病室にはテレビも無くてやることが無い。だけど、事務員、薬剤師、麻酔医、病室担当看護婦、手術担当看護婦が次々と説明、ヒアリング、同意書を取りにやってくる。


朝シャワーを浴びてきたけど、明日に備えて体をキレイに、ということで16時からお風呂。



部屋は大部屋6人で、全員何らかのガンの治療なんだそうだ。重要臓器がガンの人、臓器を3つ取った人、ここ15年、ガンで悩んでいる人。


皆、不安そうだ。
手術の後遺症や、未来のビジョンが見えないことに。
話を聞いて、少し不安が伝染してしまった。気分って、風邪みたいにうつされることがある。イヤイヤ大丈夫、人は人、そう言い聞かせる。


19時頃、K先生が説明にやってくる。
少し疲れた顔をしてるので、「痩せました?」と聞いてみる。「朝から外来だったから…慣れてるんだけどね。」と殊更明るい顔をして見せてくれる。優しい。


明日の手術のことをいろいろ説明してもらう。
12時半からオペ予定だけど、午前の手術で前後するということだ。

先生は、「とにかく心配しないで。きっちり治すからね。」と。

はい先生、私まったくそのつもりです。


もちろん自分も努力します。



先生と話してゆったりした気持ちで戻ってくると、談話室でガン患者らしき人たちが話し合っている。


「どうして私がなったのかしら?」
「神様はどうして私を選んだのかしら?」
「ガンだけは…勝てない気がする」


その気持ち、痛いほどわかる。
こんな切ない会話が、毎夜全国の病院で繰り返しされてるんだろう。


もちろん、明日の私は前向きな気持ちでオペに向かうつもり。だけど今日は…この心をかき乱されるさえずりが、私の心にリフレインしている。

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