パーソナルコーチ「はる」の、乳ガンとともに生きる日々

コーチが「がん」になったらどう変わっていくんだろう?

ニックネーム はる
名前 北條良子(ほうじょうりょうこ)
職業 パーソナルコーチ、研修講師。
資格 米国CTI認定 Certified Professional Co-Active Coach (CPCC)
HP  http://ryo-ko.net


2014年1月に乳がん告知を受け、4月に温存手術を受けました。現在はホルモン治療中です。癌告知をされた時は、やっぱり頭に死がよぎりました。元気になったいま、残された命を、同じように病気で悩んでいる人のために使うことを決めました。

あなたは乳がんを経験して、これからどう生きたいですか?
コーチングという対話を使って、自分の中の答えを見つけませんか?

神奈川県在住。小学生男児、1児の母。




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2014年03月

『地獄のまっただなかにいると思ったら、そのまま駆け抜けろ』と言ったのはイギリスの元首相チャーチル。


この2ヶ月間ずっと傍らに置いてきた言葉。


文字通り駆け抜けて、今、やっと一息つける場にたどり着いた…でもこれは私1人の力じゃなくて、助言をくれたり、人とつなげてくれたり、私のとめどない繰り言をトコトン聴いてくれた人たちのおかげ。



その中の1人に友人の智子さん、がいる。いわゆる地元のママ友だ。今日は彼女を記録に残しておきたい。



ふたつ目のしこりが癌なら全摘、とS大学病院で説明されても、私はどうしても乳房を失うのがイヤだった。思いきれない…その想いでモンモンとしてたけど、周りの家族、友人に話すと、「それは全摘をした方がいい」っていう人の方が多かった。


だから悩んだ…
自分の想いがワガママなんだろうか?、
病院の梯子をするのはムダなことなんだろうか?って。後どうして私の気持ちをわかってくないんだろうという感情もあって、なんだか孤立した気持ちを抱えてた。


今となっては、そりゃそうだろう、って思う。関係が濃い人ほど、私を失うのを恐れてくれるものだから。



Facebookを見て連絡をくれた智子さんに、ファミレスで、自分の想いを言ってみる。やっぱり全摘を勧められるのかしら…なんて思いながら。



私の、想いだけが先行してわかりづらい話を聞いた後、彼女はこういった。



「あのね…。私…股関節の病気で、3歳まで歩けなかったの。3歳の時に手術して、歩けるようになった。でも脚にこーんなに大きな傷が残ったのよ」

そう言いながら、彼女は腰から太ももまで大きく指を滑らせた。

そうだったのか…全くふつうに歩いているから、何にも気づかなかった…


「だから傷を見ると、今でも手術なんて受けなきゃ良かった、って思う時があるわ。」そう言いながら、まだ言葉を続ける。



「私のお母さんだってね、甲状腺の癌で、何年か前に手術したの。そしたら首に傷が残って…もうお婆さんなのに、すごく気にして、スカーフを巻くのよ。」

今度は首の前で手を真一文字に滑らせた後、スカーフを巻くマネをする。


「だから……はるさんが胸を切りたくないって思うのも当然よ。医療には質を求めていいと思うわ。質って大切よ。」


医療の質…
おなじ乳がん患者でも、見つかった時点で「もうこれは全摘をするしかない」って人が大勢いる。ネットにその情報は溢れてる。それを思うと口には出しづらかったことを彼女はズバリと言ってくれた。


命はもちろん大切。だけど他にも大切にしたいものがある。


いつも気さくで爆笑ばかりさせてくれる彼女。

いつもと違う彼女の言葉は、とても私の力になった。もちろん人生には、つらい決断をしないと生き残れない時がある。でも…まだ…やるだけやってみよう、諦めるにはまだ早いって。


これを読んでる人の中に、もし何かを諦めようとしている人がいたら、伝えてみたい。


諦めるには、まだ早いかも、って。




*この後、私は乳がんの先輩患者に会って、様々な話を聞く。中にはやっぱり全摘を選択しないといけなかった人も多かった。その人たちは、みな優しくて、私の検査の結果が良いよう願ってくれて。いろんな気づきがあった。その話は、また後ほど……

「うん、肺も肝臓も転移は無かったね!」
クルリ、と椅子ごと体をこちらに向けてK先生がにこやかに言う。

思わず「良かったー!」とおなかの底から声が出る。


今日は済生会中央病院。新しく現代的な新館と、古めかしくて暗めな本館がつながって、まるで迷路のような病院だ。ここで手術前に最後の検査。1番重要なのは、CT。


もともとの腫瘍が小さいから、まさかと思ってはいたけど、やっぱり遠隔転移があったらどうしようという不安。


まれに…とても少ないけど…この段階でそれが見つかってしまう人もいる。肝臓や肺に転移があると…それは「どこまで命を引き延ばせるか」という最終ステージを意味する。


今日は夫も一緒だ。

「ご主人もとても心配されていたと思いますけど、安心して下さいね」

コクリ、と頷くだけの夫。よその人から「まるで湖の湖面のような」と評されるほど無口なタチなのだ。


「転移は血流とリンパ、この二つのどちらかにガン細胞が乗って起こります」と先生が続ける。


そういって、診断をどう見たてたのか、重要臓器一つ一つを画面を使って説明してくれる。

それは正直、影や線がたくさん写っていて、私には腫瘍との違いはわからなかったけど、その丁寧さ、に信頼性を感じた。


私は脇のすぐそばにしこりがある。脇にはリンパがたくさんあって、癌はまずここに転移して、全身に広がっていく。だから、いつも不安だった。


K先生によると、
・リンパの流れは、脇から乳輪に流れて、さらにまた脇に戻ると言われている。なので脇にしこりがあっても、すぐに脇リンパに転移するわけでは無い、
ということだ。


そこはガン研有明とは、違う見解なんだなあ、と改めて医療は医者の考え方でずいぶん変わることを実感する。


ガン研有明のI先生は、繊細に言葉を選びながら、「そこは医者によって見解が異なるね。脇に近いとリンパに転移しやすい、って主張する医者もいる」って回答だった。


脇のリンパ転移は、最終的には、手術時に検査してからでないとわからない。あぁ、神のみぞ知る世界。転移が判明すれば、抗がん剤使用の可能性も見えてくる。


この後は手術とその後の治療について。

・ 手術は4/18に決定。前日からの入院。
・ 通常は1週間程の入院。
・ 腫瘍の周囲を2センチ程度くり抜く。全摘にはならないだろう。
・ 手術時にリンパ節を少し取り、転移が無いか、同時に確認する
・ 転移が無ければ、その後は放射線治療とホルモン治療を行う。


「いろいろ不安があったと思いますけど、結果オーライですよ」先生の明るい声に、本当にそうだな、と心から思う。



セカンドオピニオンで新しいしこりが見つからなければ、S大学病院がしこりを見落とさなけば、私は今、安心できる医者に会わなかった。モヤモヤしながら、大学病院で切られてたろう。


もっと言うなら…
2013年の夏に「胞状奇胎」という異常妊娠で、2回手術して…子どもを得て無くすというメンタルの不安定さと、肉体的な手術のつらさと…手術しても「絨毛癌」という癌に5%ー10%の確率で移行する不安と…

とにかくこの頃はグシャグシャだった。ベッドから起き上がれない日があった。


この経験があったから、今、なんとか「乳がん」という病気と渡り合ってる気がしてならない。


物事が起こる、その順番には、全て意味があるんじゃないか。




夫は会社に帰って行った。


外に出ると、小さな子どもを連れた家族連れが、空を指さしている。


真っ青な空と赤い塔。


春は、すぐそこに来ている。
2014-03-24-11-53-05






















私がいつの間にか生きづらい界を出ていたのは、コーチングで自分を掘り下げられるのがあまりに辛くて。

いったんコーチングをストップしてカウセリングに行ったのが大きい。そこて過去と訣別しながら、少しづつ「今、ここ」まで戻ってきた。良いカウンセラーさんと会ったのも大きいし、何よりもう1人は昔からの友人の力が大きい。


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ある夜のこと…

SAALAの会に呼ばれて行ってきた。昼間は暖かかったけど、夜はまだ寒い。春用のコートの胸元をひっぱりあげながら、池袋の端っこ、うす暗い径を抜けて、あの不思議な居場所へ。

*SAALAの説明はこちらから
http://coach-halu.blog.jp/archives/4178744.html

集まったのは11人。
いつもはまるでネコの集会みたいにバラバラになってるけど、この日は「いい人研究会」という企画の一回目。みんなで輪になって座ってみる。


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手術までの道筋ができて……ふと気がつくとちょっと疲れてる自分がいる。

自己紹介にも書いてるけど、2014年はプロコーチの資格を取る勉強をしたい!その思いに突き動かされるように、クライアントの募集をしたり、学びに出かけたりしていた。

乳がん患者真っ最中の、今も「やらなくちゃ」と思ってる。そう、いつの間にか「やりたい」は、「やらなくちゃ」に変わってる。希望が義務に変わったら重いよね…


早期の乳がんって、別に痛くも痒くもない。体のつらさってない。しこりを発見してからもう3ヶ月。元気になのに、この時間を無駄にするなんてもったいない…そんなの悔しい。そう思って走り続けてきたけど…いつの間にか義務に変わった重石が肩に食い込んでる。最近、自分がクライアントになるセッションでは「休みたい…」という一言がポロリと出てくる。



というわけで、リザーブしていた資格コースは治療がひと段落する夏に延ばす。クライアントさんは今いる人たちだけで、新規はひとまず取らない…と決めた。



あー、手放せなかった私よ、よく頑張ってたね。コーチングを続け、病院もほとんど1人で行って。ちょっと休もうよ…


今、やってみたいのは、思いっきり泣くこと。実は家族の前では泣いたことがない。喪失を予感させてしまうのがイヤで。


何処かの短歌投稿欄で、私の気持ちをピッタリ代弁してくれてる短歌があった。

懸命に生きているけどこの肩を抱いて欲しいと思う日もある


まずは泣ける映画でも借りてきて、思いっきり泣いてみようと思う。


*少しおやすみ
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