パーソナルコーチ「はる」の、乳ガンとともに生きる日々

コーチが「がん」になったらどう変わっていくんだろう?

ニックネーム はる
名前 北條良子(ほうじょうりょうこ)
職業 パーソナルコーチ、研修講師。
資格 米国CTI認定 Certified Professional Co-Active Coach (CPCC)
HP  http://ryo-ko.net


2014年1月に乳がん告知を受け、4月に温存手術を受けました。現在はホルモン治療中です。癌告知をされた時は、やっぱり頭に死がよぎりました。元気になったいま、残された命を、同じように病気で悩んでいる人のために使うことを決めました。

あなたは乳がんを経験して、これからどう生きたいですか?
コーチングという対話を使って、自分の中の答えを見つけませんか?

神奈川県在住。小学生男児、1児の母。




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2014年02月

S大学病院のN先生は、私とは合わなかった。でも何から何までイヤ、っていうワケじゃない。

「俺は良性だと思うけどね!」
新しい5mmのしこりについて、彼が言った言葉。

「!」
この言葉だけでスーッと気持ちが楽になる。
別にこれはただの推測で、科学的根拠に基づいたことじゃない。ただの気休めだ。だって「なぜそう思うのか」と食い下がった私に、「えー、……じゃあ正直に言っていい?」って説明したのが、以下の言葉。

「俺たち医者がね、新人の時、みんな習うの。検査前は良性じゃないですかって言おう、ってさ。だってわかってから悩んだらいいじゃない。わかんないうちから悩むとつらいよね。」

がっかりしたけど、だからっていい加減とは思わない。
私たち癌患者は、めっちゃくちゃ不安だ。今も不安だし、手術も不安。終わったら再発が不安。ずーっと不安が続く。他の癌患者ブログを読んで、安定剤を飲みながら治療する人がなんて多いんだろう、と思ったことか。N先生が言うように、この先いくらでも悩むんだから、少しでも悩む時間が短い方がいい。

このやりとりの1点だけ、私が先生の人間らしさを感じて好きなエピソードなのだ。

*「N先生」は、あくまで仮名(仮イニシャル?)です。

*こんな記事書いてたら、みんな心配してくれますが、意外に元気です。
画像1

上半身が裸の私の周りに、大の大人が3人も集まってる。検査技師2人と主治医が眉根を寄せ、目をこらしている。新しく見つかった4,5mmのしこりが、どこにあるのかわからないのだ。

「ニプルと同じ高さにあるはずだよ」と主治医。
「これかな~・・・というやつはあるんですけど」まだ20代かな、かわいらしい女性検査技師が言う。

画面には小さな丸いしこりがうつっている。
「ちょっと指でつぶしてみてよ」という主治医の指示に、どうしてよいのかわからないのか、技師がオズオズと肉をつまむ。
「うーん、つぶれないね~。色はのる?」
パッと画面が切り替わって、しこりの下部に赤い色がうつる。
「少しだけど色があるから、やっぱり血流が集まってるのかなあ・・・」


(アア、イッタイナニガオコッテイルンダロウ・・・)


「はるさん、どうする?これ針で刺して帰る?」
「はあ・・・」突然ボールを投げられても。
「これで癌が出たらいいけどさあ、問題は出なかった時で。出なかったらこのしこりがMRIに映ってたやつか確信が持てないから、またMRIをやって、MRIやりながら針で刺す、って方法になんのね」

つまり、時間がかかるってこと。それにしても、「癌が出たらいいけど」って言い方がすごく引っかかる。

「最初からMRIやりながらでお願いします」
「だよね~、でもさ、これ保険適用外で10万円くらいするけどいい?」
10万円はイタイ!正直、ここまで検査で万札が何枚か飛んで行っている・・・でもいいも何も、やらなきゃ始まらない。
「・・・わかりました。大丈夫です。」

主治医の説明だと、これは先端医療にあたるので保険適用外、しかもS大学病院でやるとその後の手術も保険適用外になるのだという。なので新しく京橋にある「K総合病院」に行くよう提案され。

「K総合病院はさあ、日本で数少ない『乳がんを内視鏡で手術』をする病院で、乳房温存とか再建に力を入れてるんだよね。検査に行ってちょっとそこの先生に相談してみなよ。本院は千葉の鴨川にあって遠いんだけど、手術はそこでやって、後の治療は東京の分院でやってくれるよ」とのこと。


千葉の鴨川って地名に聞き覚えがある。昔、TV東京の経済番組で特集を組まれていた病院があった。富裕層を相手にした、かなり豪華な施設とホテルのようなサービス。うちはけっして金持ちじゃない。でも、温存できる可能性があるなら・・・


エコーで良性であることが確認できれば、明るい気持ちで帰れたのに・・・・
しょんぼり下を向きながら着替えてくると、検査技師の女の子たちの会話が聞こえてくる。

「もお~、はまっちゃったよ。なかなか見つからなくて。」

私のこと言ってるんだ。時間かけちゃってごめんね・・・でも・・・・・・ホント人ごとなんだね。

検査技師の女の子たちに、怒りも悲しみも感じなかったけど、この大学病院との心の距離の遠さを改めて実感する。私、この病院で手術しても、その後ずっと「ホントにこれで良かったの?」と問い続ける一生になりそう。
やっぱり「この人になら」と思える先生に会いたい。自分にとって最悪の結果も「この人に言われるなら納得する」と思える人と。私、この病院にちっとも響いていない。

幸いなことに、私の癌はゆっくり成長するタイプだ。粘ってみようと思う。自分の選択肢が見つかるまで。















*2/26の大学病院でのやりとりを改めて詳しく書いてます。


人は医者に何を求めるだろう?
知識、経験、判断力…他には…?

東急沿線の巨大なビル。今日はセカンド・オピニオンの結果を持ってS大学病院に戻ってきた。

13:45に受付したのに、診察室に呼ばれたのは15時過ぎ。会社を早退してきたけど、もっと遅くて良かったね…ウトウトしてしまったころに呼ばれてしまった。慌てて診察室へ。

主治医のN先生は、とにかく明るくて、そして声がでかい。いつも診察室の外に会話が聞こえている。そんな彼が今日は厳しい顔。

「お久しぶりです」
「お久しぶりです。これだよね、もう一個!二個はねぇ、キレイに取れないから、全摘になるんだよね。中をくり抜くしかない!」

(イキナリですか…知ってます、ネットで見ました、二個あると全摘になるって。)

「まずはエコーで見て、これだと思ったら針で取ろう!」
「あのー…その前に、率直に聞いていいですか?」
「どうぞ」
「本当に率直に聞きますよ」
「はい」
「……なんでMRIが終わった時に、最初にもう一つあるってわからなかったんでしょ?」

最初の攻撃は私から。二回、前置きしたのは、やっぱり聞きにくい気持ちがあったから。でもここがハッキリしないと、私、あなたに身を任せられない。

「え?わかってましたよ?」
唐突なカウンターパンチ。驚愕。私、あなたの口から「転移は無かった」って聞きましたけど。

ほら、といって見せられたPCの画面。そこに放射線医の所見が。『左脇ちかくに8mm大のリングがあり、これがすでに知られたセンターと考えられる。その他に左乳房、外縁に4mm大のリングがあり………』

静かに反撃してみる。
「だったら最初に言ってくれたら良かったじゃないですか」
「だから、癌がどうかわからないから、がん研に持って行って、見てもらおうということでしょ」
結構強い口調。

「……わかりました。」
がん研はオマエの上司か!って言葉をゴクリの飲み込む。医療の知識が無い自分が悔しい。

2/6にMRIの結果を聞きに行った際、確かに「転移は無かった」って聞いた。そのまま入れられそうになった手術の予約。大学病院は分業制。まだ私の胸を直接見たことも無い先生に切られるのね。当時はベルトコンベアーに乗って、手術台に運ばれていく幻覚が見えそうで。

そのまま予約を入れようか一瞬迷ったけど、友人たちのアドバイスに従って、セカンド・オピニオンを入れて本当に良かった。

「じゃあ、エコーをするでいいですね」
「はい」

返事はしながらも、ここで手術はしないと、心の中で決めつつあった…

今日はファースト・オピニオンの大学病院へ。

疲労困憊しているので結論だけ言うと、新しい5mmの腫瘍はエコーで感知できず、もう一回MRIとマンモトーム生検をすることに。閉所恐怖症で注射恐怖症の私。苦行×苦行…ふー…


よく癌かどうかわからなくて、ずーっと検査が続くブログや闘病記があるけど、全く人のこと言えないわ!

気持ちの上では全摘が視野に入ってきたので、結構不安定。再建するかどうか情報を集めないと…と思いつつ、ネットで乳房再建した人、しなかった人、それぞれの画像や感想を見て、涙。

今日、先生に聞いてみたけど、「こればっかりは人の意見は聞かない方がいい。ハタチでおっぱい無くなってスッキリした!っていう人もいたら、80でも絶対ヤダって人もいる」だって。個人の価値観の問題ですよね、至極ごもっとも。でもグルグルしちゃいます…

そして、やっぱり転院を考えてます。

セカオピ翌日。無事に仕事に行った。仕事があって良かったなって、思う。以前は仕事に行って当たり前だったけど、今はかなりありがたい気持ちで行かせてもらっている。行くといろんな人と話せて、ものすごく気が紛れる。たまに涙がウルっと出るけど。当たり前のことができる幸せ。



昨日のガン研有明の会計は、20人待ちの列。放心状態でいると、隣の60歳くらいの、上品な婦人に話しかけられる。

「ずいぶん待たされますのね。。。」
ええ、本当に。
「この病院のたくさんの人たち、みんな癌だと思ったら、すごいですわよね。今は、3人に1人の時代だから、って、私もお医者さんに悲観しないように言われましたのよ」
この婦人も癌患者らしい。失礼ですが、どこがお悪いのですか?と聞いてしまう。

「直腸癌なんですの。一ヶ月前に手術して、今は人工肛門なんですのよ。」

ご婦人の言葉の裏に、渦巻く感情を感じる。「悔しい」とか、「情けない」とか。でも面と向かって言えなくて、ご不便でしょうね、とだけ告げてみる。

「私ね、点滴だけでご飯を食べないでいようと思いましたの。そしたらね、便出ないでしょ。でもそんなのできないって、言われて。いっぱい泣きましたの。」


手術が終わりじゃない。その後も続く生活。想像していた未来が、指の間からこぼれ落ちて行く感覚。人工で作った肛門から、おへその横から便をするなんて考えてもみなかったんだよね。私も片方のおっぱいがいなくなるかもって、考えたこと無かったな。


この時点で、2人の目から涙がポロポロ、いやボロンボロン。

「でもこればっかりは、向き合うしかない、そう思って……」
そう、辛い出来事も、人は向き合って、いつか受け入れることができる。想像していた未来を苦労して手放しながら、受け入れていくんだろう。手放す、という言葉と受け入れる、という言葉は表裏なんだなあ、という気づき。

この後、私の病気を表明して、「乳がんは大丈夫よ!103歳まで生きた人を知ってるわ!」とエールを送られ。お互い元気でいましょうね、とお別れした。


明日、ファーストオピニオンの病院に行く。
今は結構、ぐちゃぐちゃな気持ち。でもどんな結果でも、いつかは受け入れられるんだろうと思う。

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